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2007年06月27日

サイトリニューアルの狙い

来週7月3日、このサイトを大幅にリニューアルいたします。狙いは当然、会員のショップさんにより早く、たくさん売れるショップを作っていただくサポートをすること、です。そんないい方法があるのか?と聞き返されそうですが、当サイトでは、余計なことはやらずに、ひたすら王道をまっすぐに歩もうと決意した、ということでもあるのです。世の中に、たやすくいい目を見れる方法論などというものはなく、当然、今回も弊社の改善とあわせてショップさんの努力をもお願いしなければならないのですが、これまでロングテールなどの言葉が横行し、さも誰でも儲けられるというような言説よりはよっぽど本質的であり、正直な内容なのではないか、と自負しております。


弊社の強みは通販ノウハウを知っていることであり、そこには売れ筋の開発、というのが核になっていることは言うまでもありません。その「売れ筋作り」、を因数分解したのが今回のリニューアルの内容になります。多くの通販関係者が長年試行錯誤を繰り返し、実績を上げてきた方法論でもあります。


結論から申し上げますとそれは『購買履歴』という言葉に集約されます。噛み砕いて言うと「過去に何を買ったリストなのか」という視点です。


よく耳にする間違いとして、F1層を狙うとか、男性顧客をターゲットにするとか言われます。しかし、これは大手メディアにおける純広告での話であって、レスポンス広告を想定していません。純広告はあくまでイメージ広告であり、その原資はほとんどが大企業の税金対策か電博との関係づくりというケースが多いのです。大企業においては日本全国の販売網が整っている場合に限りテレビCMというのは意味をなしてくるのかもしれないのですが、われわれ中小事業者にとっては、イメージ広告などはまったく必要のないものなのです。

欲しいのはかけた広告費でいくらの収益が上がったのか、という明確な数字であり、それをペイさせることです。税金対策や人間関係などを気遣っている余裕はないのです。


通販業界全体が日本の流通業界のニッチである以上、これは大手通販会社といえどもほとんど変わりはないのです。セシールやニッセンといった会社は、社名が売れているから物が売れると考えたら大間違いで、本質は『購買履歴』という考え方を実践するレスポンス広告を行っているから、といえるのです。


まず、ショップさんにやっていただきたいことは、これまで販売してきた商品が何なのか?どんな商品が売れて、どんな商品が売れなかったのかを明確に数字のデータで確認していただきたいのです。そして、そのデータをじっくり眺めて、先入観を取り払い、自分のショップの顧客属性というものを今一度、確認する作業をやっていただきたいと思います。

数字のデータとして明確にすることで、先入観は取り払われ、新たな発見があること請け合いです。大手の総合通販会社では、先入観を極力排除し、データベースマーケティングを実践するカナメとして、このデータを大変重要視しています。データをもとに自分自身が変わっていく、という作業を日々繰り返していくのです。

これからショップを始めるサイトさんは、顧客がいないので仕方がありません。とりあえず、超売れ筋の商品に絞り込んで、数万円でかまいませんので、広告を投入してみて欲しいと思います。そのために過去に多くのショップさんが広告費をペイしてきた商品をTOPページでご紹介しておりますので、使っていただきたいと思います。


顧客リストに対するメルマガは、この分析をもとに商材を慎重に選んで実行することをお勧めします。何人に配信しても費用は変わらないから、といった気持ちですと、かえってリストを劣化させることにもつながるので、絞込みをお勧めします。そのときの商材選定は、当サイトの本編を参考にしていただけると思います。


結局はECで儲けるためには、この作業をいかに精密に確実に行うか、にかかっています。面倒だからという理由で端折ってしまうと、たまたま売上げが伸びたサイトさんでも必ず壁にぶつかり、極端な収益悪化に苦しむことになるはずです。方針に悩まれているサイトさんは、だまされたと思って実践していただければ幸いです。


ショップを始める、獲得したリストを活用する、新たな分野に進出する、どんなときにも通販である以上この『購買履歴』を意識することが、成功への王道であることを強調させていただきたいと思います。


通販実施企業のバイヤーさんと、商品を供給するサプライヤーは本来、この『購買履歴』を核とした「仮説と検証」を繰り返す間柄であるべきで、運命共同体であるはずです。バイヤーの立場を5年、サプライヤーの立場を5年以上経験させていただいたわたしが、実感として持っている成功の法則でもあるのです。

有名な大手の総合通販会社といえどもメインサプライヤーの数は10社程度であるのが普通です。裏から申し上げますとこの仮説と検証の作業をバイヤー・サプライヤー間で行うのは大変な作業であるということでもあるのです。しかし、成功しているケースを見ると、ほぼ例外なくこの作業を好循環させています。大変だけど、効果の高い王道というゆえんです。


商品は多ければ多いほどいい、という幻想がいまだまかり通っているようではありますが、弊社では、7月3日以降、会社の命運を賭けて、この仮説に正面から取り組んでまいりたいと存じます。もし、仮にこの方法論が失敗に終わるようでしたら、日本のドロップシッピング業界自体の未来がなくなってしまうのではないか、とさえ感じています。

そういうわけで、このたび、一旦商材を思い切って絞り込みます。デリバリーでご迷惑をお掛けしてきたという反省もございます。確実に売れて、確実にデリバリーできる商品だけにし、ご迷惑をお掛けしないようにするにはこの方法が最善と考えての決断です。弊社ショップ支援室への忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いです。


会員ショップさんのご発展を心からお祈りしたいと思います。

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2007年06月10日

通販の商材選定

長らくブログをお休みしてしまって、おしかりの声もいただきました。OPEN当初は少し気負って書いていたようで、今後はもう少し気楽に書いてみたいと思っています。


さて、通販素材も誕生から約9ヶ月が経ちました。色々なお声をショップ様から頂き、売上げ規模も徐々にではありますが拡大しております。本当にありがとうございます。最近、ブログを休んでいた間に、どんなことを考え準備していたのか、その点を少し書いてみたいと思います。


それは・・・やっぱり通販のことです。7月にこのサイトを理想形に近づけるため、大幅リニューアルをします。そのリニューアルのポイントが、大きく関係しています。


これまでショップ様から多くのお声をいただいた中で、私がもっとも気になり、今までどうしたらいいかわからなかった点が、これで解決できるのではないか、と考えている、まさにそのことに関してです。

もっとも切実なお声としていただいている点は「うちのショップでは何が売れるの?」というお声です。総合的な売れ筋ランキングは更新のたびごとにお見せしているのですが、これだけでは、具体的なご自分のサイトでの品揃えの戦略が見えにくいとのお声です。


そこで、あれこれ思案している中で、通販にとってのもっとも基本的で、ベストな考え方を思い起こすことになりました。それは・・・

よく、顧客の属性を考える上で、20歳代の女性が多いとか、男性顧客も結構いるんだよね、というお話を聞きます。しかし、実際の通販の現場では、顧客リストをそのようには見ておりません。唯一、リストを見る視点としては、①購買履歴 ②購入日からの経過日数、という視点だけです。


そのお客様は、過去に何を買ったのか?そしてそれはいつなのか?という視点です。そこに年齢や居住区域、性別は加味しません。結果的に女性客が多いとか、年齢層はこのくらい、とか集まったデータを分析すると、そうしたことを言うことは可能ですが、商品の選定段階ではまったく意味をなさない、と考えてかまわないのです。


たとえば、「羽根布団8点セット」が売れている場合、顧客の属性は「羽根布団8点セット」を買ったことがある顧客、ということ以外にはなく、そこから連想して、それならば、こうした商品も売れるのではないか?というふうに発想していきます。メンズのワイシャツしかり、レディスのアパレルしかりです。


7月の大幅リニューアルではこの点を完全にサイトに組み込む形で、ご提案をしたいと考えています。加えて、具体的なショップ様の保有するリストが、どんな顧客属性を持っているのか、を独自に分析し、データとしてご提供する準備も進めています。

『この商品が売れるならば、こんな商品が確実に売れます!』という視点でサイトの構成を組み替えてしまいます。


大手総合通販会社では、当然ながら、最大の資産である顧客リストから、最大限の果実を得ようと考えています。その基本的な手段が【購買履歴】という切り方なのです。

長年の経験からさまざまな方法を試した結果、これが一番いい、というベストな方法論だとお考えいただいて構いません。


たとえば、20歳代の女性、というリストの抽出と、購買履歴でこれとこれの商品を買った顧客という抽出の仕方では、時には10倍以上のレスポンスの差になって現れることもあるほどです。それが、すべて自社で購入したリストであってもです。

弊社では昨年9月のOPENからロングテールという言葉に惑わされることで、やたらと商品を増やしていくことに力を注いでまいりました。しかし、当たり前のことですが、売れる商品を増やさないと売上げにはつながりません。しかも、弊社の会員企業様である具体的なSHOP様で売れる商品でないと意味がないことに、いまさらながら気がついている次第です。


会員様からはお叱りを受けそうですが、力不足を謝るしかなさそうです。

現在、私は、ほとんど社内にこもり、以上の点の改善に集中し、体制整備に当たっております。もうまもなく、ショップ様にお見せできるようになるかと思いますので、ご期待いただければと存じます。


なんだか毎回、ブログの更新がされないことを謝っているようで恐縮ですが、今回もやっぱりこれで〆させていただきます。「ブログ更新が遅くなり、いついつもすみません」

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2007年01月15日

通販商材

パソコンや携帯電話を使って商品を販売する場合、ひとつこれだけは絶対にはずしてはいけないポイントがある。それは、その商品がパソコンや携帯で買う意味があるのかどうか、ということである。

ちょっと足を伸ばせば近くのお店で売ってる。いつも駅からの帰り道で買うことが出来る。そんな商品まで通販で売ろうとしてはいないだろうか。約4ヶ月前、10社あまりの参入でスタートしたドロップシッピングではあるが、商品点数を売り物にするサイトに限って、こうした『通販ではまず売れない』商品でその数を稼いでいる。


ドロップシッピングはどんなに進化したところで絶対に通信販売の枠組みから逃れることは出来ない。つまり、商品を手にとって買うことは絶対できず、また商品を基本的には自宅まで配送する、という要件が付きまとう。この点を無視しては、商品はまず売れない。これは、これまでのカタログ通販の商品セレクトの歴史を紐解けば一目瞭然のはずである。

しかし、インターネットの普及でさまざまな業界から、この世界に参入するようになり、この常識のような商品政策が、常識ではなくなってしまった。通販を非常に安易に考える人たちが増え、業界の混乱を招いている。サイトに乗せれば売れるだろう、10万人のリストがあるのだから、100個くらいは売れるだろう、といった思考が蔓延している。


しかし、やってみた方ならお分かりだと思うが、現実はそう簡単にはいかない。10万人のリストを持っていても、スタート当初は売れて10個、20個がいいところ。どうしていいのか分からなくなり、それこそいろんな商品に手を出し、自滅の道をたどる例が多い。

そんなショップさんに、私ども通販素材は一つの視点を御提供したいと考えている。それが「通販商材」という見方である。今のこの時代、商品は巷にあふれかえっている。すべての商品が無駄といえば無駄。必要なものなど何もないかのようである。そんな中で、わざわざパソコンの画面や携帯の小さな画面でモノを買うという行為は、よく考えるとよっぽど特別な行為と言える。そんな、特別な行為に応えるべく商品を掲載していかなければ、ECは当然のように失敗の道をたどる。逆に言うと、そんな要求に応えてくれる最低限の条件を備えると考えるものが、私どもが主張する「通販商材」なのである。


「通販商材」の特徴はまず、簡単に言えば、通販で買う意味があるもの、といえる。すなわち、手にとって買うことが出来ないにもかかわらず、買おうという動機が働く商品である。簡単なものでいえば、誰もが知っているブランド品やナショナルブランドの家電など。これは非常に多くのサイトで展開している。しかし、こうした商品は、誰でもが知っているということとセットになっているのだが、メーカーが広告宣伝費を多額に投入しているがため、ドロップシッピングをやるものからすれば、掛け率が非常に高い。つまり、利益がほとんどない。これではいくら売れたとしても、喜ぶのは消費者とメーカーだけということになる。あまりやる意味はなさそうである。

それでは他にどんな「通販商材」があるのだろうか。

さまざまな売れ筋情報を検証してみると、こんな条件を満たす商品が浮かび上がってくる。

1.自宅まで届けてくれるという行為が消費者にとって大きなメリットになる商材
2.お店で買うには面倒だが通販で注文すれば、その面倒が解消される商材
3.お店で商品そのものだけを見て買う場合よりも、パソコンの画面などの説明文を読んだ方が商品に対する理解が深まり、買う気持ちが喚起される商材

と、まぁ、こんな感じに必要条件が抽出されていく。

過去、10年以上のカタログ通販のロングセラー商材と、この必要条件を重ねてみると、よりハッキリとその「通販商材」の姿が浮かび上がってくる。


弊社の「羽根布団8点セット」はカタログの世界でも10年以上にわたって、売れている商品だが、その理由を探ると、1.大きい商品なので自宅に届けてくれると助かる、2.お店で同じ色のアイテム(布団とカバーなど)をそろえようとすると、なかなか揃わない、3.ベッドに置いたシーンなど、自宅に置いた際のイメージが写真でつきやすい、といった具合に検証することが可能だ。

もちろん突き詰めて考えていくと、この検証作業は良く分からない領域まで行ってしまうのだが、少なくともこうした考えの下に「通販商材」をセレクトしていかなければ、ドロップシッピングの成功はおぼつかないのではないだろうか。

私ども通販素材.comでは、すべての商品がこの「通販商材」である。もちろん商品によって、若干の程度の差はあるが、すくなくとも全ての商品が、1度はこのフィルターを通っている。つまり、通販として絶対に売れない、という商品は一つもないのである。社内の検証会に耐えられない商品は1つもない。


今後、ますますドロップシッピングを行う個人の方が増えると予測されるが、結局は商品が売れなければ、ドロップシッピングはなんの家計の助けにもならない。ということは、売れる商品をどう見分けるか、という『目』が最終的には、成功の条件になってくるのではないだろうか。

ロングテールの法則から言えば、出来るだけ多くの商品を掲載することにも意味があるように思える。しかし、夢のような話は、現実の流通を伴うドロップシッピングでは起きないのではないだろうか。そうした作業は極端な話、アマゾン1社がやっていれば事足りる気がするのは僕だけだろうか。

今後、時代がどう動いていくかは誰にも分からない。ドロップシッピングも日本の中で、どのように変化していくのかわからない。しかし、私ども通販素材では、この「通販商材」を充実させることに、愚直なまでに取り組んでいきたいと考えている。皆様のご評価を頂きたいと思います。

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2007年01月09日

塩野七生

年始の新聞で塩野七生(シオノナナミ)さんのインタビュー記事を読んだ。塩野七生さんは『ローマ人の物語』や『海の都の物語』の作者で御存知の方も多いと思う。僕も昔はよく読んでいた。古代ローマ時代の政治家たちを主人公にしたその物語はとてもエキサイティングで夢中で読んだのを覚えている。


そんな塩野さんのインタビューとあってこちらも大変興味深く読んだ。


インタビューの主題は現在の日本の総理大臣と民主党の党首に関するものだった。政治の世界を世界規模、また歴史的視点から研究されている立場から、二人を称して「総理=いいだんな様」「民主党党首=勝負しない政治家」と評しておられた。僕は選挙のたびに、政権交代に少しでも近づけば、という気持ちで民主党に投票してきており、その党首を肯定的に眺めてきていたのだが、塩野さんのインタビュー記事でばっさり切り捨てられているのを読んで、そういう見方もあるのだな、と改めて考えさせられた。

僕は政治家という職業に昔からなぜかとても興味がある。最近は好きな政治家が減ってきたが、昔はダーティーなにおいのする政治家ほど好意をもって眺めていた。いい人を演じるタイプの政治家にはどうしても好意を持つことが出来ず、それがどうしてなのか分からないが塩野さんのインタビューに触れて、またその気持ちの理由を考えさせられたのだ。

政治家にとって権力とは必要なものだ。何かを実現する為にはキレイゴトをいっていても始まらず、権力という力でねじ伏せるという要素が必要不可欠だ。政治家は本来、人柄などで評価をされるべきではなく、そのなした仕事の結果でのみ評価を受けるべき仕事だろう。ある壮大な制度的な改革をなす場合、時にはその手段にダーティーな手法が含まれていても、肯定されなければならないこともある、気がする。また、その手段に関して責任を問われたとしても、結果がよければ政治家本人は満足するような意識が必要な気がする。


そんな政治家と言う職業の本質的な部分から、塩野さんは上のような評価をされたのではないか。そんな風に考えた。

なぜか塩野さんの言うことは説得力がある。本人は政治家の経験などもちろんないのだが、その発言は、お腹の真ん中辺りで爽快な感情を感じることが出来る。世の中の不条理や残された矛盾なども充分認識した上での発言がそう感じさせるのかもしれない。強さと共に、どうしてかあったかい気持ちにさえさせてくれる。

塩野さんがもし、政治家ではなくて経営者を評したら、どんなことを言われるのだろう。そんな自省をこめて想像してみる。歴史的に刻まれる普遍的な骨格のようなものを知る方としては、どんな経営者が必要だと考えられるのだろうか。


経営者の本質は、喧嘩グループのリーダーだと最近、思うことが多いがその真偽はいかに。人格者である前に戦略家であるべきか。どうだろう。あるひとは言う。これからの経営者は女性と中国をうまく活用した企業が大きく伸びる、と。これについてはどうか。ある人は、企業はひとなり、という。これについてはどうなのだろう。少なくとも、批判する側ではなく、批判される側にいつでもいたいものだ。それだけは真理のような気がするが・・・・いかにいかに。

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事業計画

年明け、社員4名が事業計画書を作ってきてくれた。初めての試みだったが予想以上の出来に僕はなんだか機嫌がよくなってしまった。昨年まで、いろいろな場面で言っていたことを良く聞いていてくれたな、となんだか頼もしく感じたからだ。

とまぁ、褒めるのはこれくらいにして(このブログは社員も当然見ている)ひとつ大事なことに気がついたのでそれを書きたいと思う。


僕は今まで、自分の会社の事業計画を何百回と書いてきた。書いては修正し、修正しては破り捨て、また一から書き直す、といった作業をそれこそ何度も繰り返している。今でもその癖は抜けないが、人の書いた事業計画をじっくりと眺める機会はそれに比べて少なかったように思う。それだからかもしれないが、今回の社員の書いた事業計画を読んで、気付くところが多かった。


その一番は、誰がいつ手をつけ、いつまでにやろうとしているのか?という点があいまいだ、ということだった。僕のこれまでの経験では、一番時間が掛かるのは人の部分で、どんなに優れたビジネスモデルを構想したとしてもそれを実行する人がそのことに熟知していないと実際はうまくまわらない。計画には数字がつき物だが、数字を達成する時間軸での計画がずれてくるのだ。当然資金的な計画がずれ、苦しむことになる。苦しまないまでもあせることになる。


一人で出来る事業には自ずと限界がある。だから、ある程度の事業は当然チームでやることになる。しかし、とかくそのチームのスタッフの経験や能力を過剰に評価しがちだ。そして、不満が出る。出来て当たり前、と考えてしまうため、また、自分に出来ることは皆が出来て当然、と傲慢に考えがちなためイメージと大幅にずれて後で計画を修正する羽目になる。

誰がいつやるのか、という問いかけは、外部の方からすればあまり関心がないことかもしれないが、実際は大きな、そしてもっとも重要な問題なのではないか、と最近は思うようになった。

京セラの稲盛名誉会長もある本の中でふれていた記憶があるが、いつも事業を構想するときは、具体的なスタッフの顔を思い浮かべながら考えるのだそうだ。そして、どんなにいいアイデアも、ふさわしいスタッフがいないと判断できるときは、決して実行に移すことはないらしい。とても意味深い文章だった。

事業の計画や戦略立案はすべて具体的なものだ。同じものはひとつとしてない。そういう意味からすれば至極当然のことではあるが、とかく忘れがちな事でもあるのだろう。十分注意していきたい。


最近、MBAや資格が流行っている風潮にあるように思う。こうした時代の雰囲気も、観念論重視の思考パターンを肯定しているのかもしれない。抽象的な思考をかっこよい、と感じてしまう、変な雰囲気があるのかも知れない。本人も周囲の人間も、‘勘違い’野郎を助長しないように気をつけなければならない。本当に優れた人間は、そんな資格なんかに頼らなくても、現実の世界から教訓を学び取る能力はあるのだろうから。これもまた、当然といえば当然である。

そういえば、観念論を振りかざして失敗していった経営者を思い出した。結構、多くの人を巻き込んでいたように思うが、その人は今どうしているのだろう。僕もそうならないように気をつけなければ。

今回の社員の事業計画は僕にとってとってもいい勉強になった。そのいくつかは是非、実際の事業にも生かしたいと思う。しかし、おそらく一番勉強になったのは書いた本人であろうことは論を待たない。自分の頭で考えたことを紙に落とす作業は、とてつもなく勉強になることを僕は知っている。頭で考えるだけよりもはるかに生産的な作業が出来る。作業が苦しい分、あとに残る果実も大きい。

事業計画のいいところは、紙に落として、他人の批判にさらされること。そして、より具体的なものへと昇華していくこと。それでも実際の事業よりは抽象的な域を出るはことはない。それでも、書く意味は十分にある。


書く、という作業は自分を成長させる魔法のような近道でもある。


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2007年01月05日

中国人と日本人

今日、面白い方にお会いした。名前は控えるがVCの方だ。その方と中国についてお話しすることが出来た。


僕の会社は中国人2人から出資を受けている。大きな割合ではないがその2人には役員にも入ってもらい中長期的な視点で事業展開をしていくことを話し合っている。そのことについて普通の日本人からは「大丈夫なのか?」というような趣旨の発言をされることが多い中で、今日、初めて僕と同じように感じている方に出会うことが出来た。

普通の?(こういう言い方がいいのか分からないが)日本人は、中国人と聞くとすぐに騙されるんじゃないか、という反応をする。僕の周りも例外ではなく出資の話をするとそうした反応をされることが多い。しかし、僕は同じ日本人には騙されたことはあるが、中国人から騙されたり、裏切られたりしたことは1度もない。いや、それどころかいつも助けてもらっている。何回も喧嘩をしたことはあるが、その都度親しくなり関係を深めてきた。

よく巷で言われるような、中日戦争のことなどについても話をしたことがあるが、誠心誠意正面から話をして悪く思われたことは今までない。

そんな感覚を持っているから僕は中国人も日本人も本質的な根っこの部分では全く同じではないか、と常日頃から思っていた。その感覚を初めてその方に肯定されたのだ。うれしかった。

中国の方は自国の歴史に大変な誇りを持っている。5000年と言われる世界最長の歴史にとても誇りをお持ちだ。その感覚は自国になんとなく誇りを持てない現代の日本人からすればとってもうらやましい。本来、どんな国に生まれようとも、自国の歴史に誇りを持つと言うことは大切であるはずで、そうした感覚から他国の人たちとのコミュニケーションは深まるのではないか。ものすごい勢いで成長を続ける中国は国民一人一人も誇り高き民族なのだと思う。

確かに、個人の問題に起因する悪い面と言うのはあるだろう。中国人は人を騙すと言ったような、日本で聞かれる風説もあながち嘘ではないだろう。しかし、それは日本人も全く同じであり、中国だけに限ったことではないのだ。今の両者を比べると、むしろ日本の方が腐っているのかもしれない。


中国は社会主義の国であり、政府が大きな権限を持っている。それは事実だ。その方も、その絶大な権力に触れたお話をされ、僕は改めてすごい国だなぁ、と思った。日本人はこの、中国政府の権力に翻弄され、ビジネスの失敗を中国人の国民性に帰する傾向が強い。しかし、具体的な事例を観察すれば、そもそも日本人が中国を上から見るような態度で接することにその根本的な原因があるのではないか、と思う。

中国人も同じ人間であり、馬鹿にされるような態度で来られたら、それは怒るのが当たり前と言うものだろう。長い歴史の中、今の経済状況がどうあるか、ということで上とか下とかいうのは、あまりにも短期的に物事を見すぎている。


大陸の勢力に直接的にさらされてきた中国は、日本人から見ると大雑把に見える部分がある。それも事実だ。しかし、裏を返せばそれは打たれ強いということだし、たくましい、ということだろう。日本人はよく言えば繊細だが、悪く言えば心が狭い、ということだろう。僕は中国人に直接このことを指摘された。


僕は将来、中国市場に挑戦しようと考えている。日本でのビジネスをある程度形作ったら、海外はどうしても中国がやってみたい。1ヶ月に1度、訪問するようになって1年半ほどが経つが、その思いは強くなる一方だ。懐の深い、計り知れないパワーを秘めた中国という国をもっともっと知りたいと思う。


そのVCの方は、中国人を大変評価されていた。僕も中国人を肯定的に捉えたいと思う。日本人が脱皮できるかどうか、僕自身が脱皮できるかどうか、そのきっかけを中国人は教えてくれているような気がする。

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2007年01月02日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。

今年、最初のブログを書きます。


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2007年、今の日本社会の構造は、既得権益を握る古い世代と、何の権益も持っていない若い世代を対立軸に描くことでその一端を説明することが出来ると思う。基本的にはそんな絵を想像できるように思う。日本の家庭セクターが保有する金融資産はざっと2000兆円ある。しかし、詳しくその中身を見てみると、団塊の世代を中心に、上の世代にその資産は偏在しており、20代、30代の若い世代には、そんなたいそうな資産を保有しているという実感はない。


引きこもりやニートの問題が一時期社会問題になった。しかし、これももともとは世代間の無理解という側面が大きく、古い世代から若い世代への「最近の若い者は・・・」的な感情の表出だったように思う。個人に起因する問題もあるだろうが、そればかりをクローズアップしてみても本質的な解決にはならない。社会構造に起因する問題を捕らえてこそ、処方箋も見つかるというものだ。そう考えると、年金の問題も世代間闘争の最たるもの。経済だけでなく政治の世界も古い世代が握る権益を奪えないところに根本的な問題の根がある。自由主義のはずの日本には、古い世代が権益を手放さないがための、弊害がいたるところにあるように感じる。いくつもの問題を串刺しにして考えてみると、そうした社会の構造が浮かび上がる。


そんな閉塞状況の日本社会を破壊し、自由で風通しの良い、リベラルな社会に少しでも近づけるためには、若い20代、30代の人間たちが、社会の中心を担っていかなければならないと思う。大企業に入社し上の世代に頭を抑え続けられながら順番を待つだけでは、何にも変わらない。大企業に勤めるということは、自分の意思を捨てるに等しい。責任がない代わりに、権限もまったくない。若い人間がリスクをとり、真正面から社会に挑戦していくのが、そして、そんな人間が大勢を占めるようになることが、一番の社会変革のための処方箋になる。


しかし、一方の社会現象として資格学校やビジネススクールが流行っている。多くの若者が資格を取るために一生懸命になっている。しかし、そんな資格を取ったところで、あまり意味がない。ラベルを磨いたところで、所詮化けの皮は剥がれてしまう。わかっちゃいるけど勇気がないから資格学校に通う。夢はあるけど行動する勇気がないのかもしれない。でも、それでは本当は何にも変わらないのだけれど・・・・


こうして考えてくると、行き着くところは若い世代の行動力ということにはならないか。若い世代が行動すること。それが社会に変革のドライブを与える。

僕は起業してから約6年が過ぎた。その少ない体験から思うことだが、行動するためには、馬鹿と思われるくらいの無謀な自己放出のようなものが必要なのではないか、と思う。将来をあまり深刻に考えない、馬鹿さ加減。起業で成功している人間は、僕の主観だが決して頭がいいわけではない。むしろ周囲からは迷惑なくらいに普通じゃないこと。人の言うことなどほとんど聞かない人ではないか。何よりも自分の感覚を信じ、それをやり抜こうと思っていることではないか。そして多少人より我慢強いこと。

今の時代、何か社会に飼いならされてるような人間が多いように感じる。よく言えば優等生。まじめで礼儀正しい。しかし、そんな人間が何人いても既得権益を握るものたちからすればまったく怖くなんかない。誤解を恐れずに言えば、飼いならされた羊のようで、既得権益者からすれば都合がいいだけなのではないか。


僕はそんな自分に嫌気がさして起業という「暴挙」に出たのだと思う。


今、僕の会社では、若い社員たちが約20人働いている。夢を持ってはいるが破天荒さが足りないかも知れない。でも、僕の会社は『理想的な組織』を経営の理念に掲げる。その意味は、ベタに説明すれば、会社の外で、くだらない愚痴を言うような人間がほかの会社より少ないような組織、と言ってもいい。人間に本来眠っている積極性というものを日常の中で存分に出し切ることが出来るような組織のことだ。


ある親しい同世代の社長が言っていた。今の自分に対する鬱憤(うっぷん)って、重要だよね、と。僕もそう思う。内に秘めるか、外に出すかは個人次第だが、心に秘めた闘志だけは失いたくない。「負けるもんか」というつぶやきは結構本質的に重要だ。


僕は3年ほど前、会社を大きくしようか、小さくまとめて個人的に儲けようか、と悩んだ時期があった。そして大きくすることを選択した。そのときからきつい日々はスタートした。しかしもう、後には引けない。失敗するつもりはさらさらないが、リスクは日々増大している。

でも、若い人間の特権である、この破天荒な無謀さを今年も失わないように、大きな夢に向かって邁進していきたい。目指すは世界市場なのだから。

今年、僕らの会社は大きくステップアップすると思う。新たなステージへの挑戦の年になる。会社の成長に個人が置いていかれない様に、がんばっていきたいと思う。それがめぐりめぐって社会に対していい影響を与えられると信じて。


2007年、新年を迎えて、そんなことを考えた。今年は少しアクセルを踏んでいこうと思う。

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2006年12月31日

根っこと、柱

12月31日、2006年最後である。今年1年もいろいろなことがあった。来年はどんな年になるのだろう。そんなことを考えながら書いてみたい。

自戒を込めて、という側面が大きいのだが、最近、周囲の経営者を観察していて感じることがる。それは「根っ子と、柱」という言葉で表現されるようなものだ。会社を経営していくのはとても難しい。大変な責任と重圧が日々襲ってくるし、毎日いつも何らかの判断を迫られる。常に考えをめぐらせ、整理しておかなければ間違いを犯してしまうだろう。そんな状況に放り投げられている経営者は、実はいつも不安である。右に行くべきか、左に行くべきか、いつも迷っている。下した決断にも100%の自信を持つことはあまりなく、誰かに頼りたい衝動に駆られることもしばしばだ。そんな状況下の経営者だからこそ、その人の本質的な部分が垣間見えることも多い。人間、必死になると本性が出るわけだ。揺れる気持ちを落ち着かせるため、そのとき何を頼りにするのか?


ベンチャー経営者を取り巻く環境は、ちょっと普通の労働者のそれとは違う。毎日のように新しい出会いがあり、さまざまな情報が自然と集まってくる。今まで経験したことのない新しい経営手法に触れることも多いし、金融機関などの資金提供者の立場の方々と話す機会も多い。新聞紙面で見かける出来事にまさに日々触れているのだ。


そんな中、自身がどう振舞うかは大きな問題だ。角度の違う立場の人が発する、角度の違う意見を聞きながら、傲慢にならずに謙虚なままに、意見を吸収しながら、一つ一つの判断を正確にしていかなければならない。立ち位置を見失わず、独善に陥らず、目標に向かってひたむきに努力していかなければならない。何かにすがりたくもなる。


そんなとき、世間で言われていることを深く考えずに受け入れてしまいたい衝動は、誰しも起こりうる。だが、それが非常に危険なのではないか、と考えるのだ。理由と鼻くそはどこにでもつく、と言うが、すべての決断に理由を探せば正当化できる。一般的な論調から、何かをひっぱってくれば、人を納得させるだけの理由は見つかってしまう。それが危険なのだ。


事業がうまく行っているならば、それはどうしてなのか?逆にうまく行かないならば、それはなぜなのか?自分の言葉で説明するときにのみ自身が理解し、次の一手を打つことが出来る。「柱にすがる」ように正当化して前進する様は率直にかっこよくない。そんな人に会うことがある。

必要なのは経験であり、それを補うだけの思考であろう。自分自身の脳みそで考えたこと、また、感情を揺さぶられる経験のみが、「根っ子」のつながった確かなものといえる。地に足の着いた落ち着きをかもし出してくれる。そんな人と会ったときは、とても気持ちがいい。こちらも感化され、感情を揺さぶられ、刺激を受ける。エンジンに火がつくような感覚だ。

人間の実存に触れるような、確かな感覚は、経営者にとってもっとも大切な感覚なのではないか、そんなことを考えた。

最近、事業提携のお話をいただくことが大変多い。是非、根っ子のある経営者の方々と、ともに高めあっていきたい。自分自身の言葉で話の出来る、そんな経営者の方々とこれからも多く接していたいと思う。

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2006年12月13日

上昇志向という罠

数年前の国会を騒がせた秘書給与流用問題で辻本清美議員とともに実刑判決を受け、1年2ヶ月の牢獄生活を送った、もと衆議院議員がいっていたことに、最近痛く共感を覚えた。


氏は1年以上の収容生活で何かつき物が取れたような感覚に至ったという。議員にはもう戻りたくない、と前置きした上で、議員時代の自分は嘘の塊ではなかったか、と思うようになったという。国会質問などで精力的な活動をしているように思ってはいたが、それは実は「それらしいゲーム」をしていたに過ぎなかったのではないか、と。セーフティーネットがどうのこうの、といいながら、それ自体、世間でそういう風に言われているから、言っていたに過ぎない、現実の本当の世界とはかけ離れた実体のないゲームをしていたように感じる、と。


それが収容生活を経て、なにか地に足が着いた、というか、全ての物事がリアリティーをもって感じることが出来るようになった、という。僕はこの感覚に痛く共感を覚えたわけだ。

僕らの世代では、特に僕のようなベンチャー企業に関わる人間は、上昇志向という名のつき物に取り付かれている人間が多い。ベンチャーという言葉がそれ自体でかっこいいような響を持って受け入れられ、本質を考えることなく、前進するような、そんな人間が多いように思う。僕はそんな風潮に違和感を感じる方だが、なにかそれと似たような構造を持った話のように感じるのだ。

「国家、国民のために自分は活動している」というゲーム。本当はお金儲けの為なのにとって付けた様な理念を掲げてまい進するベンチャー企業。全てが「そういうことにしよう」という暗黙の了解の下に行われるゲームに参加しているような印象だ。本当の身の丈の自分を表現するのではなく、レベルの高い人間を気がつかず一生懸命に演じているような状態。周りを見回すと、こんな現象がいたるところで見られるような時代なのではないか、と感じる。

僕は会社設立間もない頃、人に騙されるという苦い経験をしたときに、氏と同じような感覚に襲われたことがある。上層志向という名の罠にはまっていた自分に気がつき、初めて地に足が着いたような感覚を覚えた。不思議だが、それから事業もうまく廻りだしたのである。


いつの時代も優等生病というものがあるそうだ。昔なら学歴優等生。いまならベンチャー優等生となるのだろうか。60年代で言えば安保闘争優等生である。時代が変わって何が価値あるものなのかの雰囲気が変わると、そのテーマに沿って必ず優等生が出てくるという。しかし、よーく観察してみると、そこに参加している人間の本質はなんら変わっておらず、60年安保を一生懸命やっていた団塊の世代が、今の時代に焼直せば、別のテーマで熱くなっているに違いない。そこには何の思想もないように見える。


本来なら自らの内から湧き上がる何か、に突き動かされる衝動だけが、本質を突いたものであるはずで、それは時代が与えてくれるものではないだろう。時代が変わり、カッコいいとされるテーマが変化しても、その部分はなんら変化をしないものであるはずだろう。上昇志向という言葉は、そんな本質を考えなくさせる危険をはらんでいるようで、僕はとっても嫌いなのだ。


僕は周りからは、野心家なり上昇志向の強い人間なり、と言われることがある。でも本人はそのようには感じてはおらず、ただただ、強烈な生を過ごしたい、と思っているに過ぎない。ベンチャー企業の社長という肩書きも、そんな思いのツールに過ぎない。社長という役割に関心は深いが、それが人生の全てだ、などと思うことはない。

なんにも知識や経験のないところから会社経営を始めた僕は、「上昇志向」というゲームにおぼれていたら、大失敗をしでかしたのだ。そんな経験から、こんなことを考えるようになった。

当たり前だが、会社のビジョンについて考えることが多い。文化の違う他社とのアライアンスも今、最重要テーマの一つだ。IPOすらも手段として重要なことには変わりない。しかし、それらは、それ以上のものでも、それ以下のものでもなく、会社を経営していくうえでの一手段であることには変わりない。僕は自分の会社がベンチャー企業と呼ばれることをあまり好まない。なにか、踊らされているようで不安になるからだ。

今の時代、どのような生き方をするにしても「上昇志向」という罠は、大きな口をあけて、いたるところに潜んでいる。

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会社って?

ある社会学者が言っていた。今、この瞬間を生きる僕たちは、歴史的な近代成熟期の真っ只中にある。近代成熟期とは、中世、近世、近代の、いわゆる時代の名称のことで、成熟期を迎えた近代という時代は、ある意味、目的を明確化することが困難な時代である、と。19世紀の終わりから、20世紀の初頭に生きた社会学の巨人、マックスウェーバーは、資本主義が成熟してくると、人々は逃れられない牢獄の中を毎日生きるようになるだろう、と100年前にすでに予言している。今、という時代はまさに、終わりなき日常を永遠に行き続けなければならない、そんな時代なのではないだろうか。


こう考えると、逆説的ではあるが、急に将来が明るくなる。脅迫的な上昇志向を持つ必要もなく、絶対に失敗できない、などと考える必要もない。ただただ、毎日を懸命に、まったりと生きていれば、それが正解、という気持ちになれる。

会社って?と考えたときにも、同じような思考で、その本質に迫ることが可能だと思う。

会社の本質は「ゴーイングコンサーン」永遠に継続することが大前提の組織である。3年後、5年後、売り上げをこうして、こんな事業展開をしたい、などとビジョンを掲げたりはするが、それもそのときになってしまえば、また新たに3年後、5年後のビジョンを思考しているだろう。それは永遠に継続することが前提だ。

経営者はとかく(経営者だけではないのかもしれないが)会社という組織に対して、個人的な思い入れを強く持ちがちである。とくにオーナーであればなおさらのこと。しかし、会社の本質を考えたときには、その思いは、切り離して考える必要があるのではないか。

会社の本質は、永続的な経済活動であり、それ以上でもそれ以下でもない。それ以上の価値も、それ以下の価値もなく、まさにそのものである。もっと言ってしまえば、会社自体が『機能』であり、機械的な仕組みでしかない。だから、社長の役割は、その機能がうまく回るようにコントロールする「機能そのもの」なのではないか。


日本では、よく社長の人間性や思想などが問われるような風潮があるように思うが、究極的には、そんなことはまったく関係なく、社長としての「機能」をうまくこなすことが出来るかどうか、が問われているのである。まわりも、そのように評価しなければならない。本人も、そのような心積もりで、仕事にあたらなければならないのではないか。最近はそう思う。

そのように考えた上で、(その上で)、隣にいる人との人間関係を、普通に構築していくべきなのではないだろうか。社長が人間的に優れているわけではない。だから、必要以上に傲慢になることはない。普通に謙虚に振舞えばいい。社会的な責任を全うするために、機能としての自分を徹底的に磨くよう努力するのみである。

僕は以前、会社の成長は、会社に対する「思い」に比例すると考えていた。しかし、それは今は違うような気がする。裏から言えば、人間の思いなど、たいていはたいしたことはなく、ほとんどの場合が簡単に崩れてしまう。それよりも、責任やプレッシャーなどのほうが、よほど人間を行動に駆り立てるのではないか、と最近は思う。


僕はこの会社のオーナー兼社長である。本当はこの会社に対する思い入れは誰にも負けないだろう。しかし、だからこそ、あえて、その気持ちを脇に置き、経営者としての「機能」に集中したい、そんなふうに思うのかもしれない。

相変わらず硬い文章になってしまう、僕のブログだが、結構本人はまじめに書いている。この辺で休むことにしたいと思います。自分の頭を整理するために、このブログを活用してしまっていることをお許しください。また、最近サボっていたことも、あわせて申し訳ありません。

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