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2006年09月04日

本OPENを目前にして思うこと

自分はまさにECを生業として生計を立てようとする当事者である。しかし、そんな自分ですらこの急激なWEBの進化には一方で戸惑いを隠せない。それは自分が流通業界の出身だということと大きく関係があるのかもしれない。年齢的な理由があるのかもしれない。どうしてかはわからない。2006年9月5日、当サイトの本OPENを目前に控え、改めて私どものサイトの底流に流れる思想を思い起こしながら、自分の立ち位置を再確認してみたい。


私はドロップシッピング事業を社内でスタートさせるにあたり、事業計画書の前文に次のような文章を書いた。少し長いが引用したい。
「これからの10年間に確実に起こるであろう急激なWEBの進化。そのキーワードはインターネット・チープ革命・オープンソース・WEB2.0・ロングテール・・・。通販に関わる我々のようなサービス業が成長機会を模索する場合、この『WEBの進化』を抜きには語れない時代になった。しかし、通販はそもそも消費財を中心に販売をしていく小売業。基本は現実のベタな部分を多く含む。ならば、その『小売業』と『WEBの進化という環境の変化』とをどう融合させていくのか?またはどう自社の戦略に取り込んでいくのか?好むと好まざるとに関わらず主体者は態度を明確にする必要がある。そして、それをうまくマネジメントできた勢力だけが10年先、主要なプレーヤーとして生き残っているであろう。(中略)インターネットというバーチャルな世界でのコンセプトワークをうまく取り入れ、決して埋没することなく、現実の世界を果敢に変革していくもののみが最後に生き残っていると思う。我々は、果敢にチャレンジしていきたいと考える。」


私どもがドロップシッピングシステムの準備に具体的に取り掛かったのは5月の連休明け、もう夏が目の前に来ていた時期だった。それから約3ヶ月。その間、考えていた通りインターネットと現実の世界との軋轢を感じる場面に多く出会った。スピードが速すぎて社内も社外もついていくのがそもそも辛いという現実。このスピードにあわせ、EC(通信販売)というバーチャルな売り場が先行するため、商品企画や生産、物流などの現実が引きずられるようになってしまい、関係者に葛藤が生じるということ。急激に市場が拡大することがわかっているが、資金調達や人材の確保など経営上の課題は遅々として進まないように感じてしまう、あたりまえの課題など。また、インターネットに自然に関わってきた世代とビジネスのために半ば無理やりに勉強してきた世代とのギャップから生じる衝突もそのひとつだろう。
きっとドロップシッピングやそれに類する事業を生業としようとしている企業は同じような悩みを感じているはずだ。


しかし、ここだけはインターネットや新しい技術に頼りきるというわけには行かず、現実のベタな交渉や議論、日常の作業の積み重ねなどを粛々とこなしていく以外にない。不安や焦り、時には怒りすら腹に抱えたまま前に進む度量が求められる。新しい市場を相手にしているとはいえ、過去の先輩方に学ぶところが大きい部分だ。私は先に上げた事業計画の副題に【通販共同体構想】という言葉を使わせてもらった。その意味には、こうした現実を含み、さらに一人勝ちのような世界ではなく、ともに成長していける関係値を築きたいとの思いを表現したものだ。


日本の国内市場におけるドロップシッピング事業は、日本のこれまでの商慣行と共に歩みながら、しかも新しい技術を時代に遅れないように取り入れる、という矛盾する構造の中で進まざるを得ない。私は事業成功の鍵は技術ではなく、人間にある、と思っている。「インターネットの進化はまさに民主主義の実現だ」などという、都合のいいキーワードに踊らされるようなことなく、個々の具体的な現実に真正面から向き合うことが重要なのではないか、と改めて確認している。


私たちコスパクリエーションの「通販素材.com」は、どこまでいっても、現実から逃げることなく、果敢にチャレンジする集団でありたいと思う。


本OPENを目の前に社員が忙しく動き回る社内にて考えたことをまとめさせていただいた。
社員のみんな、お疲れ様。このサイトで、ベタなサービス日本一を実現しよう!!


日時: 2006年09月04日 09:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月10日

異世代共同体を実現したい

通販素材.comの近い将来のスキームとしては『通販』という切り口を軸とした参加のアーキテクチャを定着化する、ということになるが、そこにはどうしても中核的価値観が必要だ、と考える。それをわれわれは通販共同体構想(通販プラットフォーム)と呼んでいる。


つまり、日本的な商慣行を戦略的にとりいれ、世代の融合を積極的に肯定していこうとする姿勢のことだ。言い換えれば、執念にも似た商品へのこだわりをもった戦前・戦後うまれの経営者世代、1.0時代をリードしてきた現役バリバリの中高年世代、われわれのような無気力団塊ジュニア世代、そして多感な時期からWEBに触れる環境の中ですごした2.0世代のそれそれが、互いに歩み寄ることを促すような環境を積極的に提供していこうとするということだ。「共同体」とは「異なる世代が友好的に交わることのできる共同体」という意味である。


われわれ通販素材.comは、現実の‘場’においても、バーチャルなインターネット空間という‘場’においても、そうした環境を提供したいと考えている。


 「インターネットは民主主義を実現する」といった類の、宗教にも似た無邪気な振る舞いではなく、第3の道的な思想に貫かれた、リベラルな社会の実現に寄与しようとするものだ。消費者でもあるが生産者でもある一人の人間が、その双方の役割において幸福を味わえるような、そんな社会の実現に少しでも役に立てれば、と考えている。


 ネオリベ的な振る舞いをよしとする、無邪気なIT関連企業を、淘汰できるくらいの存在感を提供したいと思う。そうでなければ、インターネットに携わる意味はない。単なる破壊者であれば、それは単なる迷惑な奴でしかないのだ。


 無宗教の日本社会における中心的な価値観ともいうべき『共同体』という感覚を大切にしながら、インターネットに取り組んでいきたいと考えている。

日時: 2006年09月10日 02:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は日曜日

なんだか久しぶりにゆっくりしているように感じる。最近サイトのOPEN前後で気が張っていたので。短い休日を楽しんでいる。ゆっくりと今日の新聞を読んだ。・・・でもやっぱり仕事のことが頭から離れないけど・・・。


何週間か前の日曜日、本屋で立ち読みをしていてIYグループのCEO鈴木さんの本を読んだ。流通業界で私が尊敬する人の一人だ。本にはこんなことが書いてあった。海水浴場に近いコンビニで売れるおにぎりは梅干だ。その理由がわかるだろうか、と。梅干はもともとおにぎりの定番ではあるが、最近はさまざまな具材に押されぎみで決して売れ筋の印象はない。せいぜい、「好きな人もいるだろうからとりあえず品揃えとしておいておく」程度の認識ではないか。しかし、海水浴場に近いコンビニでは一番の売れ筋になるそうだ。その理由を分析したのもだった。


理由は聞けば納得。海水浴場に来た顧客がコンビニをおとずれて、何か食べものを購入するとき、夕方までの日持ちのことを考える。朝、買ったとしてもすぐに食べないかもしれないので夕方に帰る間際まで腐らずに持つのかどうか?日本人のみなが考えるように「梅干なら大丈夫かな」という心理が働いてのことだ。結果、海水浴場のコンビニでは梅干が一番の売れ筋になるそうだ。もちろん、夏場に限ってのことなのだろうが。


私がこの本を読んで感じたのは、なるほど海水浴場では梅干のおにぎりが売れるのか、という関心もさることながら、売り上げ3兆円を超えるIYグループの会長が、こんな小さな「梅干のおにぎり」のことに真正面から取り組んでいることへの【安心感】だった。


IYのTOPを長く勤められている鈴木会長がこんな一見瑣末な議論を真剣にやる。なぜなのだろうか。
それはこの「梅干のおにぎり」という一時が全体の収益構造の基本だということをはっきりと認識しているからこそ、だと思う。


よく知られるように鈴木会長率いるセブンイレブンは他のコンビニチェーンを凌駕する一店舗あたりの売上高を誇る。つまり最も効率のよいコンビニなのだ。そして、全体ではイトーヨーカドーを加え、3兆円というとてつもない売上高を稼いでいる。


前売り(実際のお店で販売する形態のこと)の収益構造は『ここのお店の売り上げ』+『あそこのお店の売り上げ』+『こっちのお店の売り上げ』+・・・・・・・でしかなく、上記の小さな積み重ねの集大成が全体の売上高でしかない、という当たり前の構造を鈴木会長は完全に理解されているからこそであろう。ポイントがどこかを本質的にわかっているのだ。

 最近、企業買収や合併などの金融的な手法がもてはやされ、それをやらなければ経営者ではないかのような雰囲気がある気がする。IT関連企業にその傾向は特に顕著で、ITバブルの際に得た資金をやたらに投資しようとする。しかし、裏を返せば本業に投資する案件がなく、成長のためのビジョンを描けていない、ということなのではないだろうか。もちろん経済活動であるのだから金融的な手法で成長していくのは、ひとつの選択肢ではあるのだろうが、なにか違和感を覚える。


鈴木会長も当然、M&Aなどの手法は知り尽くしておられることだろう(私はお会いしたことがないのでわからないが)。しかし、私ごときがちょっと生意気ではあるが、本業の流通についての議論を一方ではベタなレベルで展開することが可能であるし、それ自体の価値の本質をわかっていらっしゃるように感じる。そういう【安心感】を感じさせてくれる。


流通業は他の産業に比べ、現場がより重要だ。お客様がどんな心理で買い物をされるのか、という顧客視点は、事業の本質を鋭くえぐる発想に昇華する。すべての出発点は、この1個の梅干のおにぎりであり、それ以上でもそれ以下でもない。梅干のおにぎりを、1店舗で3個しか売れなかったものを、10個売れるようにすると、単純に換算すると、100億円の売り上げは300億円になるのだ。ここにしか真理はないのだ。


ECショップもまさに同様なのではないか。ひとつの商品、ひとつの売り場作り、1枚の写真に経営者自らが全力投球をすることは、結果として、P/L、B/Sの改善につながり、資金繰りを楽にし、現金を手元に残すことになる。それが再投資を生み出し、ショップがよい方向に向かうことになるだろう。


 ECショップの運営はまさに流通業。IYの鈴木会長のように、ひとつの売り場に執念を燃やし続けてこその商売なのではなかろうか。通販素材.comには、そんな気持ちを持ったショップオーナーさんの参加を期待したい。


 いつまでたっても、どこまでいっても、小さな現場の出来事に執念を燃やし続けること。IYの鈴木会長はやっぱりすごい方だな、と改めて思う、今日の休日だった。

日時: 2006年09月10日 15:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜日なのでまた書きます

新聞で読んだ。サイバーエージェントの藤田社長が「ブログは肩肘張らずに書かないと読まれない」というような趣旨だった。僕の文章は硬いといわれることがある。だから、誰も読まない、読みにくい、ということがあるかもしれない。しかし、まあ仕方がない。自分らしく思ったこと、感じたことを書いていこう。


さて・・・


ブログはWEB2.0の象徴のように考えられている。僕もそう思う。ひとつのブログに書かれた文章が、ひとつの共感を生み出し、また次の共感を連鎖していく。そしてねずみ算式に共感の輪を広げていく。パソコンのあちら側で繰り広げられる、不思議な情報伝達の仕掛けを含む。


ブログの本質は日記ではなく、不特定多数の人が参加可能で、取り出し可能な、メディアだ、ということだろう。大切な点、理解しなければならない点は、従来のマスコミに発信できないような僕のような存在でも、その考えが共感を呼ぶものであれば、時間とともにその輪が広がる可能性を含んでいる、ということだ。


そこに従来のようなポータルサイトは必要なくなり、入り口はどこにあるのか、よくわからないが、その辺に集う情報が面白いからなんとなく集まって、意見交換しあう。ヤフーのような、又は楽天のような、目で見て、直接的に感じられるような存在そのものが否定されてしまうような世界だ。あるのは、一人一人が価値を自由に発信しながら、なんとなく同じようなものの塊が集まっているような、緩やかなつながりの集合体のようなものだ。


テレビや大新聞などのマスコミが、不必要なフィルターをかけることもなく、その人のパーソナリティーがダイレクトに伝わるようになる。マスコミが提供する同一の価値だけではなく、さまざまな人の、さまざまな切り口の価値が自由に発揮されるようになる。相変わらずくだらないテレビ番組のような情報は残るだろうが、それに押されながらも、違う切り口の情報が羽を広げることになる気がする。


 そのときに重要なのは、その発揮される価値がどんな統一性、真実性を持っているのか、ということではないか。人々に共感を持って迎え入れられることができるのかどうか。感動してもらえるかどうか、ということではないか。やはり、常に素直に、正直に、気前よく、真っ正直に価値観を表現していかなければならない。このブログの題名にもある「一直線」で信じたことを発揮する必要がある気がする。どんな批判にさらされようとも。


少なくともこのブログでは、その方向性を守っていこうと思っている。


今日はビールを飲みながら、これを書いた。そろそろ僕の好きなインターネットニュース番組(ビデオニュース.com)を見ることにしよう。

日時: 2006年09月10日 19:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月11日

僕なりの経営論

なんだか書くのが楽しくなってきた。これもブログの本質なのかも知れない。考えを文章で表現すればするほど楽しくなっていく。多くの方のブログを拝見したくなってきた。


僕がこの会社を作ったのはもう5年以上も前のことになる。正式には2001年8月7日が設立日だ。だが実際は前職を辞めたのがその年の3月なので、それからの活動のことを考えるともっと、会社の経営のことに携わっていることになる。


僕が前職を辞めたとき貯金が20万円しかなかった。今考えるとよくもまあ、会社なんぞ創る気になったなぁ、と我ながらあきれるが、とにもかくにもここまで来た。その当時は実際、P/LもB/Sもろくに読めず資金繰りの経験など皆無。挙句の果てに人に騙されるという苦い経験をすることになる。個人的な借金も約6000万円ほどに膨らみ、もう鼻血も出ないところまでいった。裏の世界の方々から脅されるという貴重な経験もしたし、借金取りに追いかけられるなどは日常だった。仲の良かった友達に裏切られるということもあった。


そんな経験を経て今の自分があるわけだが、そんな中でおぼろげながらもわかってきたように思うことは、会社を運営していく上でマイナスの感情がいかに大切か、ということだ。


大きな目標は大切だ。夢を実現するために僕も会社を作った。しかし、そうしたポジティブな思考は時とともに、また状況によって簡単に崩れてしまう。人間はもともと弱い生き物だから、お腹が空けばご飯が食べたくなるし、眠いときは機嫌が悪くなる。いつしかその夢が実現できそうにないと気づくや、自分に対して言い訳を始めるようになる。


だからこそ思う。プラスの思考で自分を制御するのも重要だが、もう一方で必ず、マイナスの感情を意識することだと。つまり、借金や倒産、周囲の人から罵られるリスク、不安や焦りなどの感情だ。そんな感情を抱えたまま、日常を全力で走ることが出来るかどうかを、常に自分に問いかけなければならないのではないだろうか。


昔から言うように、人間万事塞翁が馬。いいときもあれば、悪いときもある。大切なのは、決してあきらめない気持ちであるし、いいとき、悪いときで一喜一憂しないことだ。


『人生は短くて苦い』とは知人の中国人に教わった、向こうの諺だが、この「苦い」という言葉が僕は妙に気に入っている。人間は幸せになるために生まれてきたわけではなく、幸せになる権利がそこにはあるだけだ。もともと「苦い」人生ならばそれを抱えたまま走るしかない。ありそうもない幸せを求めて不満を言うよりも、あるがままの現実を受け入れて、しかも笑っているほうがいい。


それが結果的に幸せを手に入れる(あくまで主観的にだが)ことになるのではないだろうか。少ない経験ではあるが、詐欺師に騙され、友人に裏切られ、そしてようやく気がついたことである。


僕は今後も、自分の人生を、不安や焦りを抱えたまま、全力疾走したいと思っている。そして、にやりと笑ってやろうと思う。

日時: 2006年09月11日 01:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月12日

適材適所

最終的に経営は人事に集約されるのではないだろうか。最近、特に感じることだ。


わが社の収益モデル、事業戦略、個人の経験、考え方、周囲との調和。考えること、取り巻く変数は多く、そのすべてが時とともに変化するため正しい答えを見つけるのは難しい。


会社の資金調達戦略、マーケティング戦略、採用戦略、商品戦略、販売戦略とすべてに人事が絡んでくる。そのどれひとつとってもおろそかにすることは出来ず、弱い部分はすべて個人の負担になって跳ね返る。そのとき、根性や体育会的な頑張りは、役に立つのだが、本来なら美しいオペレーションのもと社員には仕事をしてもらいたいものだ。


会社の成長と社員のスキル向上も密接に絡んでおり、一人一人の成長を見守ることは何にも増して重要な経営者の仕事である。絶対におろそかには出来ない。


誰にどの仕事を任せるのか。そもそもわが社の仕事にはどんな種類、役割期待が存在するのか。それさえ、明確に意識するのは本当は難しい。収益構造から遡って、それが明確に意識されれば、経営者の仕事は半ば終わったようなものなのかもしれない。


わが社の社員には思いっきり、能力いっぱい羽を広げてほしい。それは僕の最大の責任だ。社員が能力いっぱい力を発揮し、成果につなげることが出来る姿は、実は経営の終着駅なのではないか、と思ったりもする。僕はそう出来ているだろうか。


ドロップシッピングではまったく新しいビジネスモデルを要求される。アメリカのそれも、おそらくは参考にならないだろう。日本の、日本人の、日本の顧客にあったモデルを作り上げなければならないのだろう。


しばらくは社員に無理を言うかもしれない。心を痛めながらも僕は前進し続けなければならない。社員のみんな、率直な意見をぶつけてほしい。真正面から聞く用意があります。


僕は僕で、自分に甘えることなく、徹底的に思考をめぐらせるのみだ。脳みそで汗をかくくらいに考えるしかない。

人事は経営の終着駅なのかもしれない。そんなことを強く考えた1日だった。

日時: 2006年09月12日 02:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月13日

Mr.Children

今日、実は初めてミスチルの熱狂的なファンに会った。女の子でミスチルのヴォーカル桜井さんのファンだ、という人は見たことがあるが、男性の熱狂的なファンは初めてだった。僕と同じでほとんどすべての曲が歌えるという。なんだかうれしい。


最近のミスチルの曲の中で好きなのは、「World Ends」「ランニングハイ」「跳べ!」だ。もう何千回聞いただろう。マイカーのハードディスクに入っているのでほとんど毎日聞いている。「俺も飽きないな」と思うが飽きないのだから仕方ない。なんせ、歌詞がいい。彼は詩人だ。社会学者の宮台真二さんや評論家の宮崎哲哉さんも後世まで残ると思う、と大絶賛だ。僕もそう思う。


最近の日本社会の問題点を鋭くえぐるようなその歌詞は、聴いていて心地よい。勇気が沸く気がするし元気になることも多い。自分で歌えばなおさらだ。


現代社会のアノミーを普段の言葉で表現するセンスは本当に天才だと思う。ラブソングではなく、社会を風刺した上記のような曲はその辺の学者や政治家、経営者の言葉なんかよりはるかに聞く価値がある。


ちょっと理屈っぽくいうと、桜井さんの詩はリベラルそのものだ。


社会を、人間を、とことん掘り下げて、社会政策を考えていくと、人はリベラルにならざるを得ない。リベラルとは相続税率100%を主張することに象徴されるように、すべての人々のスタートラインを出来るだけ揃えようとする思考だ。あとは個々人の努力に依存する。ただし、社会的弱者をフォローアップすることも決して忘れない。民主主義ではなく社会民主主義、第3の道に通じる考え方だ。


通販素材.comにおける「通販共同体」という構想、主張もこれに通じる。バランスオブパワーが本質のビジネス世界においても、仕組みそのものはリベラル的な思想を取り入れようとしている。構造的に、また時間的に、だ。


つまり、日本的な商慣行を真正面から否定することなく、それを受け入れながら、ともに成長していく様だ。そのもの自体を事業戦略に組み込もうともがく姿勢そのものともいえる。


通販素材.comにストックされた素材は、我ながらよく頑張って揃えているな、と思う。これからもっともっとその数を増やしていくが、あとはショップを運営する方々の努力を待つのみだ。スタートラインは揃えた。ショップ支援室のスタッフも成熟してきた。


本気でECショップをやろうという多くの方々の参加を望んでいる。

日時: 2006年09月13日 02:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月14日

1次流通、2次流通

2次流通という言葉がある。要は中古品の市場のことだ。大きいものでは中古車市場、バイク、家などがあるだろう。最近は買い取り専門店と称して店を構え、本やDVDなどを流している会社もある。ここ5年ほどのインターネットの発達で一般的な消費財(洋服、家電など)もWEB上で流通するようになった。ヤフーオークションが有名だが、現在既に約1兆円の流通量があるそうだ。


2次流通を中古商品市場と位置づけるならば、新品の商品の市場はあえて1次流通と呼ぶことができる。この状態を見て、IT企業は1次流通においても同様の仕組み(新しい売れる仕組)が作れるのではないか、と考えているようだ。しかし、本当にそうだろうか。


1次流通と2次流通、1と2で中身の違いは新品か中古か、しかないじゃないか、と安易に考えるかおもしれない。それゆえ、ITを使った安易な仕組みを模索している企業も多いようだ。しかし、実際は1と2で構造的には天と地ほどの違いが存在する。


それは、一言で言うならば商流の違いである。つまり、2次流通は商品がそれぞれ消費者の手に渡ったところからのスタートである。しかし、1次流通は、商品はメーカーなどの倉庫にあるか、もしくはこれから生産しようとしているものまで含まれる、とうことである。さまざまな工程がそこには介在せざるをえず、中古品市場のようにはいかない。


商品企画、仕様確定、生産、納品、売り場作りなどさまざまな工程を経て、ひとつの商品が作られ販売される。通信販売(EC)であればそこに写真の撮影やコピーライティングが含まれる。その一つ一つが実に時間のかかる作業であるし、ノウハウの蓄積が要求される。


そこに関わる人の数も全く違う。2次流通は売る人と買う人だけであるが、1次流通の場合、恐らく何十人、何百人が関わることになるだろう。

Eコマース(ドロップシッピング)も同様に、そこには複雑な工程が多く含まれる。新商品を扱う市場である以上、どうしても人間の『創意工夫』というものが介在せざるを得ず、ただ商品点数を増やしただけでは全く意味がないということだ。しかもドロップシッピングはあくまで通信販売であり、そこには商品写真が必ず必要になるのだ。写真の良し悪しで売れ行きは相当違ったものにならざるを得ない。


私はドロップシッピングのシステムをリリースして改めてこの違いの大きさに気が付いた。我々が培った通信販売のノウハウは、そう易々とは手に入れることができず、その分、相当なイニシアチブを持っているのだと。

今日は1次流通と2次流通の違いから、そんなことを確認してみた。

日時: 2006年09月14日 15:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月16日

リーダーの責任

新橋のガード下のいっぱい飲み屋でサラリーマンが愚痴をこぼしている。よくある光景だ。だが一方で、会社で行うミーティングはなぜか(日本人は、というべきか)緊張の中で行われ、あまり有益な時間をすごすことが出来ないことが多い。とてももったいない。


一番悪いのは、上の人間だ。その最たるものは社長である。社長がそういう雰囲気を作り出し、社員の自由な空気を壊している。だいたいそうである。


僕もいま、社長をやっている。いつも自分を振りかえらざるをえない。僕はどういう雰囲気を発しているのだろうか。社員を萎縮させてはいないだろうか。


組織のリーダーはそういう風にいつも苦しんでいればいい。組織の上に行けばいくほど、大きく苦しむのが当たり前である。それでいい。そうでなければならない。


しかし、社員にそんな気持ちを味合わせてしまうのはリーダーの責任であり、能力が未熟であるが故の罪なのだ。そんなやつは早くリーダーを辞めてしまえばいい。全責任は組織のリーダーにあり、社員に責任はひとつもない。

リラックスしたときに出る発言はポイントをついていることが多い。そういう会議をやらなければならない。しかし、その会議が出来ないのだとしたら、それはすべてリーダーの責任だ。リーダーはよくよく考え直さなければならない。果たして僕はそういう会議が出来ているのだろうか。


今日も朝から晩までよくしゃべった。もう酸欠になりそうだった。でも、うちに帰れば眠る場所があり、うまい飯もある。何の不満も持ちようがない。それでも人間は何かしら不満を探す動物らしい。ほとほと自分がいやになる。


明日も責任ある仕事が待っている。もう3時だ。話がまとまらないがこの辺で眠ることにしよう。今日は通販の話はできなかった。明日以降のブログに期待してほしい。

日時: 2006年09月16日 01:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月17日

戦艦大和とマスの終焉

太平洋戦争の終わりごろ、当時、世界一の排水量を誇った日本海軍の秘蔵っ子、戦艦大和がアメリカの攻撃に撃沈した。当時の状況を記す、歴史関連の書籍には「機動力を特徴とする空の時代にとっくに世界は移行していたにもかかわらず、当時の軍部の組織的な問題で無駄な死者を多数出すことになった。」というような趣旨の説明がなされているのを読んだことがある。僕は、今のマスを狙った通販(たとえば新聞広告・折込チラシ、地上波のTV通販など)の状況はこれと似ていやしないか、と思っている。


インターネットが進化を続ける今日の状況と、空軍力が支配し始めた太平洋戦争当時の状況は、物理的に小さなものが大きなものを制するという点において酷似している。


マスを狙った通信販売はその裏で、必死に商品の開発を行ってはいるが、通信販売の収益のもう一方の柱である「集客」という面において決定的に戦略が後手に回っているように思える。


インターネットの世界はWEB2.0という言葉に象徴的なように、個人が自由に情報を発信し、また選ぶことが出来る。また、WEBを介して情報は一瞬のうちに全国、全世界に広がるという本質的な性質をもつ。面白いと感じる情報ならその速度は、信じられないほど急激なものとなる。


昨日、9月15日、日本におけるSNSの最大手MIXIがマザーズに上場を果たした。2004年にサービスを開始してからわずか3年あまり、その会員数は実に570万人を数えるまでになったそうだ。これがインターネットの本質、インターネット時代のマーケティング(集客)の本質ではないだろうか。


MIXIの本質は出会い系である。都心に住む友達を欲する若い男女が、希薄になった人間関係を求めてネット上でコミュニティーを作る。その目的はネット以外で顔をあわせる「オフ会」であり、共通の趣味を持った者同士がひと時のコミュニケーションを楽しむ。その顧客視点の本質は「共感」であり、共感を呼ぶ、ネタである。


この、インターネットの状況と通信販売という1次流通の本質を掛け合わせるならば、ECの未来がおぼろげながら見えてくるような気がする。


通信販売の収益構造の基本は「坪効率×リスト数」である。それはインターネットの世界でも永遠に変わらない。ものを手にとって買うことが出来ない‘通信販売’においてこれは、本質的に、また決定的に重要な要件である。


とするならば、インターネット時代における通信販売の基本戦略は、一つには坪効率を安定、向上させるための商品開発、仕入れノウハウであり、その売り場そのものである商品写真と商品説明コピーが相変わらず重要だといえる。そして、もう一方は、バナー広告のようなマス的な手法ではなく(決してなく!)ブログやSNSを活用した、WEBの中における毛細血管を駆け巡るような「共感」を呼び起こす、情報戦略・コミュニケーション戦略といえる。

つまり、こうした時代にこそ、これまで培ってきた商品開発スキルや商品説明コピーなどの「通販ノウハウ」が、コミュニケーションの核になる‘ネタ’になりえるのだ。


ものの安さという価値がその根本を支配するオークションなどのC2Cとは異なり、1次流通のECにおいては、開発背景、生産背景など商品企画者の本音や裏話などの「面白い小話」が決定的に重要になる。


商品という切り口その1点において、いかに具体的な価値を再生産し続けることが出来るか、という社内システムが競争のポイントの最重要課題になる。


広告費を大量投入するようなマス的な手法ではなく、WEB上に張り巡らされたネットワークを使って、遠くて近くの消費者に対し、どれくらい親近感を持って受け入れてもらうことが出来るか。毛細血管の中をスムーズに情報が駆け巡るように、ひとつのワードをいかに執念を持って開発することが出来るか。それが最大のポイントになる。


もともと通信販売とは「ワードの意味の格闘技」、と僕は思っている。


コマースという次のネットビジネスの収益ポイントは、こうした「現実のベタなノウハウ」と「WEBという目には見えない集客コンセプト」の掛け算で進行していくのではないだろうか。その両方をいかに自社の戦略にスピーディーに取り入れることが出来るか。通販素材.comは、その1点に事業戦略のポイントを絞り込んで、先を急ぎたいと考えている。


もう、マス的な広告手法は終わりを告げようとしているのではないだろうか。マス広告を活用した集客は戦艦大和と同じ道をたどるような気がしてならない。


日時: 2006年09月17日 00:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月20日

通販素材.comの強み

サイトOPENから2週間あまり。派手なことが嫌いな僕は、まだあまり広告を打っていない。もうすぐやろうとは思っているが、その前に足元をがっちり固めておきたい。ユーザーを裏切るのは嫌だから。


そんな調子でまた、弊社の強みや弱みについてじっくり考えてみた。


WEB2.0時代における事業戦略のポイントはナンバーワン戦略である、とはGMO熊谷さんのブログにも書かれていたことで、僕もまさにその通りではないか、と考える。ある一部分、商品やサービスなどで競合他社を寄せ付けない差別化を図ること。それがWEBの時代には重要だ。なんだか当たり前のことのようではあるが、それが真実だと思う。


理由は何度かこのブログでも紹介させていただいたが、その商品やサービスが共感を呼べるもの(ネタ)であれば、WEBの中に張り巡らされた情報網を伝って瞬時に全国、全世界に広がる可能性を秘めている、というのがWEBの本質だからだ。


共感してもらいたい対象がニッチでも全く構わない。現実の世界では集めることができなかった、ニッチな切り口に共感する人々を、WEBの世界では「全員」集めることができる可能性があるのだ。


たとえば全国に5万人共感しそうな対象が潜在的にいるとする。現実の世界では、どこに店を出しても売上はあまり上がらないだろう。しかし、これがWEBの世界では、5万人すべてにリーチできる可能性が高くなる。そうすると、今まで『あまり売れなかったが優れた商品』というものが売れる可能性が出てくるのだ。別の言い方をすれば、販促に膨大な時間とコストがかかっていたものが、無料、一瞬でできてしまうことも考えられるということだ。


もちろん、WEBリテラシーの問題は常に付きまとう。WEBを見る人が増えるのが前提だ。しかし、この問題は時間の経過とともに解決されてしまう。今後、インターネットに触れる人口は増えることはあっても減ることはない。


それでは、私ども「通販素材.com」にとって、競合他社を寄せ付けない商品やサービスはいったい何なのだろうか。よーく考えてみた。


それは「売れなかった商品までも、売れるように変えてしまう、ビジュアルやコピーのノウハウ」であろう。20数年にわたる紙通販で培われた、坪効率UPの工夫の集積そのもの、とも言うことができる。


売れない商品を値引きして売るのは誰にでもできる。そういうサイトも現在多く見かける。安直な手段と言わざるを得ない。中期的には必ず崩壊する。市場のパイが拡大している今は、その戦略も有効に働くこともあろう。もう少しいけるかもしれない。しかし、将来のビジョンは描くことはできない。


流通業に携わって10年余り。いい商品を持つメーカーさんが、売り方がわからずに困っておられるという例をたくさん見てきた。WEBの時代になってもことの本質はさほど大きく変わらないだろう。そうしたメーカーさんは、一度弊社に御連絡いただきたい。弊社スタッフは、まさにそのことだけに集中し、日々の仕事を積み重ねている。商品の掲載にあたり、もちろん費用は一切かからない。そういうモデルを作っていこうと考えている。


今後益々競争が激しくなることが予想されるドロップシッピングではあるが、私ども「通販素材.com」はこの1点に集中した戦略で生き抜いていきたいと考えている。


メーカーさんが求める顧客は我々が代行して集めていけるビジネスモデル。それもドロップシッピングの本質ではないか、と考えている。


日時: 2006年09月20日 22:20 | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年09月21日

WEB2.0時代のビジネスチャンス

WEB2.0という言葉が巷で聞かれるようになってから、まだ、さほど時間がたっていない。さまざまな立ち位置の人々が、さまざまな角度から議論を展開している。まだ、よくわからない、というのが実際かもしれない。


今の僕がおぼろげながら感じるWEB2.0時代のビジネスチャンスはこういう本質のものだ。


全体像を眺めるならば、WEBが進化すると、人々がこれまで考えながら選択して来たものを、モノが代用するようになり、人々は「選択」という労苦から開放される。そして、世の中は益々便利になる。


まず、情報。図書館などで調べていたものが、ネットで簡単に探せるようになる。それから電化製品。スイッチを入れずとも自分好みの温度や色や光、音までも演出してくれるようになる。人間は元来不精であるがゆえにこの流れに抗うことはできない。


MIXIのようなコミュニティーサイトも同様だろう。新たな、または、旧友との連絡もこのサイトが半ば自動的に代行してくれるようになる。情報の伝達のスピードが格段に速くなる。


しかし、その反動として人間は益々頭を使わなくなり、少しのことを面倒がるようになる。人間が益々不精になり、特定分野については、一番得意な人にWEBを介して聞くようになる。


つまり、そこにビジネスチャンスがあるのではないか、と思うのだ。


昨日のブログとも重なるが、それはたった一つの商品であったり、サービスで構わない。または、商流の中でどうしても欠かすことのできない機能でありながら、時間と労力がかかってしまうところ。経験や特別な訓練が必要な分野などだ。


たとえば、弁護士。弁護士の優劣は一般からは全くわからない。しかし、WEBの情報網を使って、優秀なのかそうでないのかが、一瞬のうちにユーザーに伝わることが考えられる。そうすると、評判のいい弁護士に仕事が集中するようになるにちがいない。医者や税理士、など難しいといわれる資格を持った職業はわかりやすい。一極集中化が起こりやすくなるということだ。


それでは、我々通信販売(EC)の業界に置き換えたらどうだろう。


我々の業界には一般からはわかりにくいが、やってみるとなるほど、と思える、簡単そうで難しい工程がある。ものを手にとって買うことができないという、通販の本質と関係するのだが、それが商品写真などのビジュアルスキルやコピーライティングスキルである。売り場作り、販売促進手法と言い換えてもいいかもしれない。


ものの作り手のメーカーさんは長年の経験で本当にいい商品を作ることができる会社が多数存在する。しかし、これまで販路が前(現実のお店での販売のこと)だけであったとかの理由で、それをビジュアルで表現する経験が乏しかったりする。そうなると通販での販売が一気にネックになってきてしまう。


そんなとき、我々のようなビジュアルや売り方のみに特化した集団が価値を発揮する場面が出てくるのだ。もちろん工場に直接入って、生産現場をコントロールするという経験も積んでいるので、メーカーさんの気持ちも理解できる。どうしたら売れるようになるのかを、総合的な視点で話し合うことが可能だ。


これをWEBの世界で展開することで、より多くの方々に喜んでいただけるのではないか。というのが「通販素材.com」の事業コンセプトの根底にある。


システムが稼動し始めると、思ったよりシステム開発というのは重要な要素だな、と実感しているが、それでもコンセプトの主軸はシステムではなく、通販ノウハウなのだと改めて感じているところだ。それはもちろん現場のオペレーションも含めたノウハウのことだ。


お客様からもお褒めの言葉を頂くようになった。まだ商品が少ないという、お叱りの言葉も頂くが、少しお待ちいただければそこもじきに解消するはずだ。


WEB2.0の時代。情報収集や選択の労苦から人々が解放される時代にこそ、オールドエコノミーといわれる、これまでの蓄積が花開くのではないか、と改めて考えた一日でした。


日時: 2006年09月21日 12:13 | コメント (0) | トラックバック (0)

WEB2.0の時代に商店街が帰ってくる!?

数年前の日米構造協議の結果、大規模小売店舗法、通称‘大店法’の規制緩和が行われ、一気に地方都市に大規模な小売業のお店が進出した。その結果、街の商店街は活気を失い、シャッター通りと化した地方も出てきたという。クリントン政権下のカウンターパートであった当時の自民党の面々の中には、その結果を目の当たりにして愕然としたという議員もいるという。


このときの大義名分は「消費者利益を守れ」というものだった。コミュニティーに依存した商店街は効率が悪く、消費者は高い買い物をさせられている。そんな非効率な仕組みを改め、消費者利益を守れ、というのだった。


確かに大規模なショッピングモールなどが進出し、商品を安く買えるようにはなったかもしれない。一箇所で何でも揃い、便利になったかもしれない。しかし、それでそこに住む住人たちの生活は豊かになったのだろうか。消費者利益は守られたのだろうか?


最近出来た大型ショッピングモールに実は僕も行くことがある。日曜日にまとめて買い物を済ませるために車に乗っていくわけだ。しかし、必ず駐車場に入る前に結構な時間並ばされ、まとめて買うものだからそれこそ車に乗らなくなるくらいに買い込むことになる。あれもこれも買っておかなきゃ、というわけで帰ってみてみると、何でこんなもの買ったんだっけ、というものまで含まれる。そうして、楽しいはずのショッピングも相当な疲労感と共に、敗北感となって襲ってくることもしばしばだ。


以前であれば、近くに商店街があったので必要なものを必要な分だけ買うことが出来、それ自体が楽しみでもあった。時には無駄な饅頭なんかも買ってしまうことになるのだが、敗北感は全く感じられなかったように思う。しかし、便利になった今は、なぜかマイナスの感情ばかりが自分の中でクローズアップされるように感じる。私だけだろうか。


消費者利益とは確かに、モノを安く買えるようにする、ということも含まれるだろう。それを否定するつもりはない。高いものより安いもののほうがいいのは当たり前である。しかし、それだけではないような気がするのだ。ショッピングというものの中には、安く手に入れる、ということ以外にもさまざまな付加価値的要素を含んでいる。


それは、買ったときの心の満足であり、無駄までも楽しんでしまうような、なんと言うか、「大いなる暇つぶし」的な要素だ。売る側と買う側の人間関係も含まれるだろうし、会話の中から作り手の思いを知るなどの得する情報も含まれるだろう。その店に集う人や情報に触れることにより得られる満足感といった、目に見えにくいコンテンツは結構重要な気がしてならない。


しかし、しかし、またしかし・・・だ。
僕はWEB2.0の時代には、こうした失われた商店街のような存在がWEB上で復活するのではないか、と思っている。


形式は少し変わるだろう。現実の同じ‘場’を共有するということはない。あくまでバーチャルな空間での‘場’の話だ。MIXIのような、ひとつの切り口に集う一つ一つのコミュニティーが、買い物、という行為を通じて擬似的な商店街のような役割を果たすのではないか、と思うのだ。


話す内容は今日の天気ではないかもしれない。今日の夕食のおかずではないかもしれない。それは、ある関心に基づいた、「共感」を中心に回る会話になる。趣味志向が共通な人たちが、ある商品について私見を述べたり、批判したり。それ自体を楽しみながら、ショッピングという行為が行われていくのではないだろうか。僕はそんな期待も込めた予想をしている。


もう日本に実際のリアルな商店街は戻らないだろう。心の満足よりも、目の前の便利さを追求するのが人間であろうから。空洞化された共同体も戻ることはない。都市の中で、隣に住む人が誰なのかわからない、という状況は多分、今後も変わることはない。


しかし、それがために、人々はぬくもりに似た感覚を求めてWEBに情報を求めてくるようになる。


WEB2.0の時代には、商店街が帰ってくるかもしれない。


日時: 2006年09月21日 18:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年09月26日

テレビが、ないっ!

僕のうちにはテレビがない。もう半年以上、テレビがない。引越しをしたときに壊れてそのままにしていたのだが、はじめのうちはなんだか寂しい気もしたが、今ではそんな生活にも慣れ、なんだか清々した気分だ。


見たくもない、くだらない番組をなんとなく見てしまうということもなくなり、生活が20%くらい生産的になったように思う。本を読んだり、考え事をしたり、散歩をしたり、なかなかリズムがいい。低俗番組を見て落ち込むこともなくなった。


ワールドカップや甲子園の中継が見れなかったのは多少残念ではあるが、それも過ぎてしまえばたいしたことはない。その分、ネット配信されているニュース番組などを多く見るようになり、むしろ情報は頭の中で整理されるようになった。


テレビが壊れたおかげで、これからのインターネットの時代に早々に対応できたのではないか、などと強がっている。


いや、強がりではないのかもしれない。日々のニュースや情報に不自由することはないし、余計な情報がない分、頭の中がキレイに整理されて仕事も快調だ。


もっともいい、と感じるのは、あるひとつのテーマについて、長い時間考える環境が整ったことだろう。途中で寸断されることなく、何日も何週間もそのテーマについて考えることが出来る。以前なら、日々のニュースを面白おかしく報じる番組を見るおかげで、どうでもいい他人の意見に惑わされ、考えがなかなかまとまらないことが多かったように思う。それが今は、本を読んだり、新聞を読んだりしても、自分自身の思考がぶれることが減ったように感じる。


世の中で議論の対象になっているような難しい事象も、時間をかけて考えていけば、ある程度自分の考えを持つことが可能になる。ビジネスの将来ビジョンについても同じことが言える。


WEBの進化について、さまざまな人が発言をしているが、朝から晩まで長時間考え続けられることはなかなか環境的に許されない。


かの社会学の巨人、マックスウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をはじめあれだけの業績を残すことが出来たのは、病弱でなかなか人に会うことが出来なかったことが逆によかったのではないか、とも言われている。ひとつのテーマについて自分の脳でとことん考えることが出来た、ということだろう。


人の意見を聞くのも悪くないが、その意見の良し悪しの判断も含めて、やっぱり自分の脳みそで判断を下していかなければならない。そうしなければ、なんだかかっこよいことを言っていたとしても、それは単なる受け売りでしかない。自分の人生には何のプラスにもならない。


やはり、自分の脳みそでとことん考え、出した結論は説得力が違うし、聞く人の共感を生みやすいのではないか。


これからのWEBの時代には、人々はより「身近」になる。カッコつきだが。そんな時代環境の変化の中では、共感を呼ぶ力が益々重要になるのは間違いない。それにはベタではあるが、やはり自分の脳みそでとことん考えたかどうか、という積み重ねは重要にならざるを得ない。


テレビはそんな時代環境にも、もう、そぐわなくなっているのかもしれない。地上波のチャンネルを独占したままで生き延びようと企む輩に支配された日本のテレビは、もう歴史的な役割を終えているのかもしれない。


構造的に、人々を考えない方向に仕向ける日本のテレビという存在は何なのか、とさえ思ってしまう。


引越しでテレビが壊れ、偶然にもそれがない生活を送ることが出来、僕は新しい世界に出会えたようでなんだか得をした気分だ。手荒な仕事をしてくれた、引越し業者に感謝しなくちゃならない。あのドラえもんのマークの引越し業者に。


日時: 2006年09月26日 00:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

坪効率×リスト数

「坪効率×リスト数」というのは、通信販売の収益構造の基本的な骨格だ。媒体が紙であろうとTVであろうと、WEBであろうとモバイルであろうと変わらない。その内容について、質問が多い箇所なので文字だけでは難しいかもしれないが説明を試みてみようと思う。


「坪効率」とはそもそも、紙通販やお店での販売における、ある一定の売り場面積あたりの効率(売上・利益)のことを指す。紙通販であれば、例えば1ページあたりの売上であり、お店なら1坪あたりの売上、という具合に考える。その坪当たりにかかった経費を算出し、その経費を補うだけの売上(利益)があがっているのかを見るのだ。単位化してあげることで、よりわかりやすい指標として使われているわけだ。


これがEコマースになると、そもそもスクロールによっていくらでも売り場面積を使うことが出来る為、元来こうした「坪効率」のような指標を取り入れる企業はないに等しかったと思う。


もちろん、厳密には10cm四方の売上は?などとWEBの世界で考えてもあまり意味はない。正確に単位あたりの経費と売上を比較するのはナンセンスに思えるだろう。


しかし、僕が言いたいのはそういうことではなく、その考え方なり、組織の文化なり、マーチャンダイジングの抽象的な行動指標にせよ、ということだ。


ひとつの商品を仕入れたり、開発して、売り場を考える。コピーを考案し、商品キャッチを考え、撮影をする。こうした、ひとつひとつの工程の成果がいかほどか?単純に言えば、1単位あたりの売上はどうか?ということとパラレルだ。


PLを考えた場合、その1単位あたりの売上が損益分岐点を越えるものでなければ結局、全体でも損益分岐点を越えてこない。坪効率×リスト数のリスト数がいくらあっても採算には乗ってこないのだ。


そういうことである。


とかくバイヤーは売上のことしか頭にない。収益性がどうだとか、会社全体で利益がどうだとか、は考えない人種だ。売ることに快感を覚えてしまう為、どんなに利益が低かろうとも、どんなに経費をかけようとも売上が上がればそれでよし、としてしまいがちだ。そんな思考パターンを打破する為にも、坪効率という考え方は有効なのである。


通販は紙もECも一箇所にいながら全国の消費者を対象にビジネスが展開できる為、この坪効率の最大化のノウハウを持つことは、大変な武器になる。10億円の企業が一気に1000億円の企業に化ける潜在的な力を得るに等しくなる。


言い方を変えれば、10億円の企業も1000億円の企業も構造的には一緒だということだ。


紙通販の場合、媒体費がかかる為、坪効率は死活問題である。それこそ必死になって効率を追求する。しかし、裏返せばそれが逆に強みになっているのだ。ECの場合はそれと全く逆で、効率を追求する必要がない為(そう思い込んでいるだけだが)それが弱みとなって跳ね返るという構図だ。


今後、益々競争が激しくなるとEC全体の坪効率は確実に落ちる。いま、採算に乗っている企業もすぐに採算割れに追い込まれるだろう。それを防ぐ唯一の方法はこの、坪効率の概念を取り入れ、マーチャンダイジングの思想にまで高めることなのだ。


日時: 2006年09月26日 18:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

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