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2006年09月21日

WEB2.0の時代に商店街が帰ってくる!?

数年前の日米構造協議の結果、大規模小売店舗法、通称‘大店法’の規制緩和が行われ、一気に地方都市に大規模な小売業のお店が進出した。その結果、街の商店街は活気を失い、シャッター通りと化した地方も出てきたという。クリントン政権下のカウンターパートであった当時の自民党の面々の中には、その結果を目の当たりにして愕然としたという議員もいるという。


このときの大義名分は「消費者利益を守れ」というものだった。コミュニティーに依存した商店街は効率が悪く、消費者は高い買い物をさせられている。そんな非効率な仕組みを改め、消費者利益を守れ、というのだった。


確かに大規模なショッピングモールなどが進出し、商品を安く買えるようにはなったかもしれない。一箇所で何でも揃い、便利になったかもしれない。しかし、それでそこに住む住人たちの生活は豊かになったのだろうか。消費者利益は守られたのだろうか?


最近出来た大型ショッピングモールに実は僕も行くことがある。日曜日にまとめて買い物を済ませるために車に乗っていくわけだ。しかし、必ず駐車場に入る前に結構な時間並ばされ、まとめて買うものだからそれこそ車に乗らなくなるくらいに買い込むことになる。あれもこれも買っておかなきゃ、というわけで帰ってみてみると、何でこんなもの買ったんだっけ、というものまで含まれる。そうして、楽しいはずのショッピングも相当な疲労感と共に、敗北感となって襲ってくることもしばしばだ。


以前であれば、近くに商店街があったので必要なものを必要な分だけ買うことが出来、それ自体が楽しみでもあった。時には無駄な饅頭なんかも買ってしまうことになるのだが、敗北感は全く感じられなかったように思う。しかし、便利になった今は、なぜかマイナスの感情ばかりが自分の中でクローズアップされるように感じる。私だけだろうか。


消費者利益とは確かに、モノを安く買えるようにする、ということも含まれるだろう。それを否定するつもりはない。高いものより安いもののほうがいいのは当たり前である。しかし、それだけではないような気がするのだ。ショッピングというものの中には、安く手に入れる、ということ以外にもさまざまな付加価値的要素を含んでいる。


それは、買ったときの心の満足であり、無駄までも楽しんでしまうような、なんと言うか、「大いなる暇つぶし」的な要素だ。売る側と買う側の人間関係も含まれるだろうし、会話の中から作り手の思いを知るなどの得する情報も含まれるだろう。その店に集う人や情報に触れることにより得られる満足感といった、目に見えにくいコンテンツは結構重要な気がしてならない。


しかし、しかし、またしかし・・・だ。
僕はWEB2.0の時代には、こうした失われた商店街のような存在がWEB上で復活するのではないか、と思っている。


形式は少し変わるだろう。現実の同じ‘場’を共有するということはない。あくまでバーチャルな空間での‘場’の話だ。MIXIのような、ひとつの切り口に集う一つ一つのコミュニティーが、買い物、という行為を通じて擬似的な商店街のような役割を果たすのではないか、と思うのだ。


話す内容は今日の天気ではないかもしれない。今日の夕食のおかずではないかもしれない。それは、ある関心に基づいた、「共感」を中心に回る会話になる。趣味志向が共通な人たちが、ある商品について私見を述べたり、批判したり。それ自体を楽しみながら、ショッピングという行為が行われていくのではないだろうか。僕はそんな期待も込めた予想をしている。


もう日本に実際のリアルな商店街は戻らないだろう。心の満足よりも、目の前の便利さを追求するのが人間であろうから。空洞化された共同体も戻ることはない。都市の中で、隣に住む人が誰なのかわからない、という状況は多分、今後も変わることはない。


しかし、それがために、人々はぬくもりに似た感覚を求めてWEBに情報を求めてくるようになる。


WEB2.0の時代には、商店街が帰ってくるかもしれない。


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