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2006年10月03日

りょうたろう

今年4月30日、僕にはじめての男の子が生まれた。名前は「りょうたろう」。漢字では「遼太郎」だ。僕が敬太郎なので‘太郎’を取り、「遼」は好きな字だったのでその前に付けてみた。深い意味はない。感覚だ。でも、とっても気に入っている。ちなみに僕のオヤジは征二郎。余談だが。


いまちょうど5ヶ月を過ぎたところだが、順調すぎるくらい順調に育っている。うちにテレビがないせいか、夜は7時か8時には寝てしまう。そして、だいたい朝までぐっすりだ。おかげで標準より少し太っているようだ。やるな、りょうたろう。


りょうたろうを見ているといろいろなことを考える。この子が大人になる頃には、この社会はどうなっているのだろうか。インターネットなどはどれくらい発達しているのだろう。事故なんかに合わずにこのまま育ってくれるんだろうか。などなど。


でも、僕は、父親だからか、自分の中では出来るだけ突き放した見方をしていこうと思っているフシがあるようだ。


よく、母性と父性を比較することがある。母性は子供の人生の安全をひたすら願う思考。父性は子供の人生の強度をひたすら願う思考、だと。もちろん程度の問題ではある。しかし、僕はやはり父性のほうが強いようだ。当たり前だが。


長いか短いかは運命だからわからないが、精一杯充実した人生を生きて欲しいと願っている。僕のように起業するもよし、音楽やスポーツの世界に身を投じるもよし、だと思う。だが決して、自分の人生に後悔しながら生きては欲しくない、と思う。


世の中に「被害者と加害者」の2種類の人間がいるとしたら、僕は加害者の側でいて欲しいと願う。


被害者の側に立って、誰かを批判するだけの、しけた人間にはなって欲しくない。自分だけ安全地帯に身をおいて、危険なチャレンジをする人を評論するような、そんな人間にはなって欲しくない。そう思う。


僕はやくざ映画が好きだ。現実の世界のやくざは迷惑な存在だと思うが、映画は好きだ。高倉健のようなやくざなら歓迎だ。


僕は経営者、弁護士、政治家などはほとんどやくざと一緒ではないか、と思ったことがある。何にも後ろ盾がない状態で、素手で戦っていくわけだからあんまり変わらないじゃないか、と。心の中はおんなじではないか、と。2種類の人間の、批判される側、加害者の側に属するのではないか、と。


他人に迷惑をかけてはいけない、と母に言われて僕も育ったが(父には言われたことがないように思う・・・)、生まれただけで、人はもう誰かに迷惑をかけているのではないか、などとも思ったりする。人生を無駄に過ごしてはいけない、などとも偉い人が言いそうだが、人生そのものが無駄ではないか、などとも思ったりする。


そんなよくわからない、どうしようもない人生ならば、せめてかっこ悪くなく、自分に恥じないような生き方を選んで欲しいと、思う。大いに批判されればいいと思う。多くの方々から評論されるような人生を生きればいいと思う。自ら何かを仕掛けて欲しいと、願う。


喜怒哀楽の感情を、めいっぱい感じながら時間をすごして欲しいと、願う。不安やあせり、の感情も豊かな人生の証のように思う。何も感じないより、いい。


いつも、りょうたろうのオムツを替えながら、ちいさな○ん○んを眺めながら、こいつはどんな大人になるんだろう、なんて考えながら、こんな哲学的な思索にふける時間が、いまはたまらなく楽しい、と思う。


この会社の後を継ぎたいなどと、姑息なことを考えず、強烈な生を選んで欲しいな、などと勝手に考えた。


ちょっとブログを休んでしまって、すみません。また、ペースをあげて書いていきたいと思います。


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