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2006年10月05日
5年以上前、僕が起業を決意したとき、ある方からこんなことを言われた。「世の中には2種類の人間がいる。被害者と加害者だ」と。世の中のほとんどは被害者で、加害者はほんの一握りだ、とも。刑事事件に関わるようなことを想定しているわけではなく、この場合は少し抽象的な意味で使っている。
加害者とは、何かを仕掛けている人。そして、批判を浴びる立場にいる人のこと。被害者とはその逆で、批判をする側にまわっている人のことだ。ひとりの人間の中にも、あるときは被害者、あるときは加害者ということもあると思う。しかし、これも程度の問題で、自分の職業上の立場をどちらに置いているか、というのがポイントになる。
WEBの時代になり、僕のような普通の人間が自由に意見を発信することが出来るようになった。それは非常にいいことで、今後もこの流れが加速していくことを願う。しかし、一方で、自分の身分を隠して批判的な書き込みばかりをする輩も目に付く。社会問題化しているのは御存知の通りだ。
僕は、このWEBの時代、自由に発言を出来るという環境の中にも、一定のルールが必要だと考えている。意見を発信するということは、それに対する批判を受ける可能性があるということと同義であるが、そうした加害者の立場を自覚し、実名を明かすべきではないか、と思う。
せっかく、自由に発言し、自由にコメントやトラックバックをもらえる環境にあり、情報がいい方向に流通していく可能性を秘めているのに、実名を明かさなければそれが全て無駄になってしまうからだ。しかも、無駄になるだけではなく、後に残るのは嫌な感情だけということになってしまう。「卑怯者!」という感情だけが。
そういうわけで、僕はこのWEBの時代には、古典的な表現である「被害者と加害者」という意識がとっても重要なのではないか、と考えるに至ったわけだ。あまり、みっともないことをするべきではない。批判をするな、といっているのではなく、批判をするときは実名を明かせ、と言っている。
こういうと、必ず「説教みたいなこというな」という批判が帰ってくる。それでも僕の考えは変わらない。むしろ、こういう馬鹿な人たちが多くいる、日本社会を憂うことになる。
僕はミスチルの歌が好きだ。でもミスチルの歌詞は説教くさい、という若い方たちもいるらしい。それに対して僕は「そんなことをいうな」とは言わない。「そうかそうか」と思うだけだ。
今の世の中、どんな風にして生きていってもいい。なんでもありである。価値観も人それぞれ。勝手にやればいい。自分と違う価値観の人に、それは違うという権利は誰にもない。ないどころか、意味がない。もともと壮大な無駄を生きている僕たちにとって、正しいことはあまりない。他人が幸福になる権利を侵害しない限り、何をやっても論理的には矛盾しない。
WEBの世界に関わっている人間は若い人が多い。世代が上がればあがるほどWEB人口は減っていく。これは致し方のないこと。もともと最近出てきた技術なのだから、これにどうこう言っても始まらない。
しかし、これがために一方で、世代間の軋轢みたいなものが生まれる原因になっている。そういう観点からもWEBに関わる人たちは、無責任な行動を慎むべきではないか、と思ったりするわけだ。
若い人間は、世代の上のほうの人からの説教を嫌う。そういう傾向が強い。僕もわけのわからない、感情の吹き上がりのような説教じみた話は嫌いだ。もう少し、よく考えてからしゃべれ、と思う。時間の無駄だと感じることも多い。
しかし、WEBにくだらない投稿をする連中は連中で、そんなオヤジ連中と、実は同じレベルにいるのだ、と考えるべきなのではないか。お互いが批判をし合っている図は、まさに目くそ鼻くその類なのではないか。
WEBの時代には情報が流通しやすくなる。ということは、それ自体の価値は限りなくゼロに近くなる。誰でもいつでも好きな情報にアクセスすることが出来るということはそういうことだろう。そんな時代だからこそ、その情報の中身が重要にならざるを得ない。
このブログにもコメントやトラックバックを少しづつ頂くようになった。でも、議論を堂々とやりたいのなら、是非出所を明らかにして欲しいと思う。卑怯者、と言われる前に。