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2006年10月15日
僕は高校を卒業してから2年間、いわゆる浪人生活というものをしていました。高校生でも大学生でも、会社員でもない、つまり社会的な所属のない状態を‘浪人生’と呼ぶのだと思いますが、僕はそんな不安定な生活を2年間体験しました。両親や姉に迷惑をかけ、この先どうなるのかと、とても不安だったのを思い出します。
そのころ思っていたのはこんな感情ではなかったか、と思います。「今の自分は本当の自分ではない。きっと将来満足できる自分になることが出来る。だから自分には相応の価値が存在する。決して無意味な存在ではない」と。
そう、思い込もうとしていた、というのが正確な見方であるのでしょうが、当時の自分は本気でそう考えていました。
でも、その後、そんな精神状態の人は、決して‘浪人生’に限った事ではない、と気がつくようになりました。ある社会的な組織に所属した状態の人々の中にも、そんな精神的「浪人生」がいるのではないか、そう気がつくようになったのです。
抽象的な表現をすれば、それは、今の自分を本当の自分と感じることが出来ない状態=「今、ここにいない自分を探している」人々がいるのではないか。ある学者の言葉を借りれば「モラトリアム人間」が今の日本には大量に存在するのに気がつきました。
目の前の仕事を自分の天職と考え、一生懸命に取り組むことは、裏返せば、そのほかの可能性を捨てることを意味します。今、ここにいる自分を本当の自分だと考え、そのほかの可能性を捨て去る態度です。人生が決断の連続だと言われる本質です。
でも、そうした潔い態度は時に人にプレッシャーを与えるもののようです。自分かわいさの故なのでしょうか、なかなか決断することができない、ほかの自分を捨て去ることを猶予している状態に甘んじている人々が多いように感じます。
前進するか後退するか、どちらを選ぶにしろ、片一方を捨て去るしかありません。片方の可能性を捨て去り、どちらかを選び取ることは、もしその決断が間違っていたとしたら・・・と考え出すと夜も眠れないほど深刻な迷いを生むかもしれません。
しかし、人生はそもそもそういうものだとも言うことが出来、それに気がつかないのは時間を無駄に過ごすこと、といわざるを得ないのではないでしょうか。決断を猶予している状態=モラトリアム状態を長く続けることは、人間としての成長を阻害してしまうように感じています。
僕は、浪人生活の最中、まさにこの「モラトリアム人間」ではなかったか、と思います。だから、自分自身に自信を持つことが出来ず、他人の目がやたらと気になっていた記憶があります。駅に行くのさえ、恐怖を感じるような精神状態でした。過去の自分のことばかりが思い出され、「どうしてあの時こうしていなかったのか」と無駄な後悔を繰り返していたように思います。
僕は今、現在の自分に大変満足しています。5年ほど前、無謀にも独立する道を選んだことに、苦しいことも多いのが現実ですが、当時のような不安感はまったくなくなったように思います。何かを学ぶことが楽しいと思えるようになり、吸収力も当時より格段に上がったように感じます。
「今、ここにいない自分を探す」こと。それは、本人にとっては努力しているように思えるという『罠』を同時に孕む、気づきを遅らせる危険な状態なのではないでしょうか。悩むことと、考えることとは違う、とはよく言われるセリフですが、まさに考えているのではなく、ただただ、悩んでいるだけなのではないでしょうか。
新しいことへのチャレンジは、モラトリアムを捨て去ること、今の自分を選び取り、別の可能性を潔く捨て去ることから始まるのではないか、そんなことを考えました。
スキーでは、谷足に体重を投げ出すことで、上達の第一歩が踏み出せるといいます。思い切って、自らの体を谷側に投げ出す態度は、なにか自信を勝ち取るための生活態度に似ているような気がします。そんなところに、なりたい自分になるための「コツ」があるのかもしれません。
決断とは決めて、断つこと、とはソフトバンクの孫社長がおっしゃっていたことだと思いますが、まさにそうした態度が、新しい自分に出会う方法なのではないでしょうか。
WEBとコマースの融合というチャレンジを続けながら、そんなことを考えた1日でした。