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なんだか書くのが楽しくなってきた。これもブログの本質なのかも知れない。考えを文章で表現すればするほど楽しくなっていく。多くの方のブログを拝見したくなってきた。
僕がこの会社を作ったのはもう5年以上も前のことになる。正式には2001年8月7日が設立日だ。だが実際は前職を辞めたのがその年の3月なので、それからの活動のことを考えるともっと、会社の経営のことに携わっていることになる。
僕が前職を辞めたとき貯金が20万円しかなかった。今考えるとよくもまあ、会社なんぞ創る気になったなぁ、と我ながらあきれるが、とにもかくにもここまで来た。その当時は実際、P/LもB/Sもろくに読めず資金繰りの経験など皆無。挙句の果てに人に騙されるという苦い経験をすることになる。個人的な借金も約6000万円ほどに膨らみ、もう鼻血も出ないところまでいった。裏の世界の方々から脅されるという貴重な経験もしたし、借金取りに追いかけられるなどは日常だった。仲の良かった友達に裏切られるということもあった。
そんな経験を経て今の自分があるわけだが、そんな中でおぼろげながらもわかってきたように思うことは、会社を運営していく上でマイナスの感情がいかに大切か、ということだ。
大きな目標は大切だ。夢を実現するために僕も会社を作った。しかし、そうしたポジティブな思考は時とともに、また状況によって簡単に崩れてしまう。人間はもともと弱い生き物だから、お腹が空けばご飯が食べたくなるし、眠いときは機嫌が悪くなる。いつしかその夢が実現できそうにないと気づくや、自分に対して言い訳を始めるようになる。
だからこそ思う。プラスの思考で自分を制御するのも重要だが、もう一方で必ず、マイナスの感情を意識することだと。つまり、借金や倒産、周囲の人から罵られるリスク、不安や焦りなどの感情だ。そんな感情を抱えたまま、日常を全力で走ることが出来るかどうかを、常に自分に問いかけなければならないのではないだろうか。
昔から言うように、人間万事塞翁が馬。いいときもあれば、悪いときもある。大切なのは、決してあきらめない気持ちであるし、いいとき、悪いときで一喜一憂しないことだ。
『人生は短くて苦い』とは知人の中国人に教わった、向こうの諺だが、この「苦い」という言葉が僕は妙に気に入っている。人間は幸せになるために生まれてきたわけではなく、幸せになる権利がそこにはあるだけだ。もともと「苦い」人生ならばそれを抱えたまま走るしかない。ありそうもない幸せを求めて不満を言うよりも、あるがままの現実を受け入れて、しかも笑っているほうがいい。
それが結果的に幸せを手に入れる(あくまで主観的にだが)ことになるのではないだろうか。少ない経験ではあるが、詐欺師に騙され、友人に裏切られ、そしてようやく気がついたことである。
僕は今後も、自分の人生を、不安や焦りを抱えたまま、全力疾走したいと思っている。そして、にやりと笑ってやろうと思う。
最終的に経営は人事に集約されるのではないだろうか。最近、特に感じることだ。
わが社の収益モデル、事業戦略、個人の経験、考え方、周囲との調和。考えること、取り巻く変数は多く、そのすべてが時とともに変化するため正しい答えを見つけるのは難しい。
会社の資金調達戦略、マーケティング戦略、採用戦略、商品戦略、販売戦略とすべてに人事が絡んでくる。そのどれひとつとってもおろそかにすることは出来ず、弱い部分はすべて個人の負担になって跳ね返る。そのとき、根性や体育会的な頑張りは、役に立つのだが、本来なら美しいオペレーションのもと社員には仕事をしてもらいたいものだ。
会社の成長と社員のスキル向上も密接に絡んでおり、一人一人の成長を見守ることは何にも増して重要な経営者の仕事である。絶対におろそかには出来ない。
誰にどの仕事を任せるのか。そもそもわが社の仕事にはどんな種類、役割期待が存在するのか。それさえ、明確に意識するのは本当は難しい。収益構造から遡って、それが明確に意識されれば、経営者の仕事は半ば終わったようなものなのかもしれない。
わが社の社員には思いっきり、能力いっぱい羽を広げてほしい。それは僕の最大の責任だ。社員が能力いっぱい力を発揮し、成果につなげることが出来る姿は、実は経営の終着駅なのではないか、と思ったりもする。僕はそう出来ているだろうか。
ドロップシッピングではまったく新しいビジネスモデルを要求される。アメリカのそれも、おそらくは参考にならないだろう。日本の、日本人の、日本の顧客にあったモデルを作り上げなければならないのだろう。
しばらくは社員に無理を言うかもしれない。心を痛めながらも僕は前進し続けなければならない。社員のみんな、率直な意見をぶつけてほしい。真正面から聞く用意があります。
僕は僕で、自分に甘えることなく、徹底的に思考をめぐらせるのみだ。脳みそで汗をかくくらいに考えるしかない。
人事は経営の終着駅なのかもしれない。そんなことを強く考えた1日だった。
新橋のガード下のいっぱい飲み屋でサラリーマンが愚痴をこぼしている。よくある光景だ。だが一方で、会社で行うミーティングはなぜか(日本人は、というべきか)緊張の中で行われ、あまり有益な時間をすごすことが出来ないことが多い。とてももったいない。
一番悪いのは、上の人間だ。その最たるものは社長である。社長がそういう雰囲気を作り出し、社員の自由な空気を壊している。だいたいそうである。
僕もいま、社長をやっている。いつも自分を振りかえらざるをえない。僕はどういう雰囲気を発しているのだろうか。社員を萎縮させてはいないだろうか。
組織のリーダーはそういう風にいつも苦しんでいればいい。組織の上に行けばいくほど、大きく苦しむのが当たり前である。それでいい。そうでなければならない。
しかし、社員にそんな気持ちを味合わせてしまうのはリーダーの責任であり、能力が未熟であるが故の罪なのだ。そんなやつは早くリーダーを辞めてしまえばいい。全責任は組織のリーダーにあり、社員に責任はひとつもない。
リラックスしたときに出る発言はポイントをついていることが多い。そういう会議をやらなければならない。しかし、その会議が出来ないのだとしたら、それはすべてリーダーの責任だ。リーダーはよくよく考え直さなければならない。果たして僕はそういう会議が出来ているのだろうか。
今日も朝から晩までよくしゃべった。もう酸欠になりそうだった。でも、うちに帰れば眠る場所があり、うまい飯もある。何の不満も持ちようがない。それでも人間は何かしら不満を探す動物らしい。ほとほと自分がいやになる。
明日も責任ある仕事が待っている。もう3時だ。話がまとまらないがこの辺で眠ることにしよう。今日は通販の話はできなかった。明日以降のブログに期待してほしい。