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本日からは少しずつではありますが、通販(EC)で売上数字を安定させる為に重要なポイントについてお話させていただきたいと思います。
これは弊社サイトでの商品の品揃えでもっとも気を使っている点でもあるのですが、まずは「定番定着」という考え方です。過去10年間ぐらいの通信販売業界の状況を大きく見返してみますと、売上数字の8割は2割の商品郡で稼いでいるという、いわゆる2:8の法則というものが当てはまります。しかもこれら2割の商品群はほとんど変化がありません。これは安定的に収益を上げている企業に特に顕著です。一時的な流行で売れる商品も当然ながら存在しますが、それをベースに会社の数字を組み立てることの恐ろしさは歴史が証明している通りです。
規模の大小に関わらず、この構造は変わることがなく、通信販売で商品を企画していく上で必須の条件と言えるのではないでしょうか。これがいわゆる「定番定着」の発想の原点にあるのです。通販におけるキラー商材もこの発想から生まれます。
ECショップを運営する上でまず考えなければならないのは、この定番定着(キラー商材)を安定的に供給できる体制を整えることであるべきです。
数字を安定させ資金をまわし、増えたキャッシュで残り2割の商品群でチャレンジをしていく、というのがもっとも基本的な品揃えの姿です。
さらにこの各分野にまたがったキラー商材で集めたリストに対して周辺の商品を販売していくことで収益に厚みを持たせていきます。
このサイクルがベーシックな通販の考え方になります。
値引きに頼った販売や流行のみを追いかける姿勢は必ず行き詰まるのです。売れる商品と売りたい商品を意識の中で完全に区別し、まずは売れる商品を中心にすえていって欲しいと思います。
8月13日付けの日本経済新聞にIYの鈴木会長のこんな記事が載っていた。「普段売れている弁当をはずして新しい弁当を投入している店のオーナーがいる。うちの店では弁当が100個売れるから、といって定番の弁当をわざわざはずして新商品を入れている。これではうまくいくはずがない」といった趣旨だ。これと同じような例をECショップのオーナーにも見ることがある。売れ筋をわざわざはずして、新商品を投入している例だ。その根拠は夏にこんなものが売れるはずはない、この商品はもう古いから・・・など。鈴木会長の発言の趣旨を理解できるだろうか?
「売り上げをあげるためには新商品は欠かせない。」「そろそろお客様も飽きただろうから商品構成を変更しなければ売り上げが落ちるだろう。」こうした考え方は一見正しいように見えるかもしれないが、私は100%間違っていると思う。なぜならこれらはすべてお客様を完全に無視しているからだ。お客様がこうしたことを望んでいるというデータがあればいいのだが、たいていはオーナーや経営者の思い込み、先入観によるものだ。飽きているのはお客様ではなくオーナーであり、新商品を望んでいるのもお客様ではなく店長であることが大半だ。商売はどこまで行ってもお客様が主体であるべきだし、そうでないのはすべて自己満足にすぎない。自己満足するために商売をやっているというのなら否定はしないがそれでは売り上げUPは望めない。もっといえば売り上げが上がるということはお客様のニーズを満たしているという証拠だしそれが商売をやる目的でもあるのだ。
究極的には売れている理由は誰にもわからないのだし、また売れなかった理由も誰にもわからない。要はそれらのデータを蓄積し仮説を立てて少しずつ変化させていくことが肝要ということだ。そこに勘は必要ない。いやむしろ悪でさえある。お客様の立場に立つということは、データを見て先入観を捨て去り、そのデータに素直に従うということだ。売れているものは売れなくなるまでずーっと売り続けることだし、売れないものはすぐに品揃えからはずすことだ。
ネットショップの場合、紙面をどれだけ割いてもコストに跳ね返らないという理由からいつまでも売れない商品を載せている例をよく見る。しかし、それがあだとなりお客様が本当に望む商品がぼやけてしまっている。何を売ろうとしているのか、何がそのお店の売り上げの核になっているのか、しっかりとデータで確認しなければならない。そのデータを元に売り上げの8割を稼ぐ定番商品を確立することが安定した数字を稼ぐために一番重要なのではないだろうか。
通販ではリアルのお店と異なる売れ筋が確実に存在する。それらは過去のデータの産物であり業界全体で蓄積してきた貴重な財産なのだ。EC自体は数年のキャリアしかないが通販全体で見るともう20数年の実績が積まれている。それらに敏感になり、ショップの売り上げ向上を狙っていただきたいと思う。
私どものサイトもそうした思想が底辺に流れている。ぜひ、ご活用いただきたいと思う。
ECに携わるようになってひとつどうしても気になることがある。それは値段を安易に下げるサイトが非常に目に付くということだ。目の前の売上げを稼ぎたいがために、かなり強引に安売りし瞬間的に数量を売りさばく。売る側としては数量が稼げるため、そのときは気持ちがいいし、売上げ数字としてもそれなりに作ることができる。目標を提示されているバイヤーなどからすれば悪いことをしているという感覚はないのかもしれない。しかし、そうしたことを続けているサイトはすぐに収益性が落ちる。商品も集まりにくくなり、結果お客様が離れてしまう。中期的に見ても売上げは確実に下がる。リピーターも安売りを待つようになり定価の商品には反応を示さなくなる。
商品を供給するメーカーや商社、問屋などからすれば、次に打つ手がなくなる。バイヤーはいつも何か安い商品はないか、処分品などはないかというだけで、どうしたらマーケットを創造していくことができるかという建設的な会話がなくなっていく。消費者からしても次々に新しい企画を提案してくれて、本当の満足を提供してくれることを望んでいるために次第に飽きが来てしまい、得なことはない。誰も得をしないこのような安売り手法をなぜやってしまうのだろうか?
商品の値段とは価値の値段であり、値引きをするということは、自分たちが売っている商品には価値がないといっているようなものなのだ。価値のないものを売っているお店にお客様が継続的にきてくれるはずはない。あまりにも当たり前のことを無責任な販売者が安易にやってしまう。
ショップがやるべきことは利益度外視で安売りをすることではなく、安くご提供できるような構造を作ることである。安く売っても収益が落ちないような仕組みを懸命に作ることである。それがひいては消費者の利益につながり、ショップの繁盛につながっていく。
安直な安売りは、誰も幸せにしないのである。
数年前の日米構造協議の結果、大規模小売店舗法、通称‘大店法’の規制緩和が行われ、一気に地方都市に大規模な小売業のお店が進出した。その結果、街の商店街は活気を失い、シャッター通りと化した地方も出てきたという。クリントン政権下のカウンターパートであった当時の自民党の面々の中には、その結果を目の当たりにして愕然としたという議員もいるという。
このときの大義名分は「消費者利益を守れ」というものだった。コミュニティーに依存した商店街は効率が悪く、消費者は高い買い物をさせられている。そんな非効率な仕組みを改め、消費者利益を守れ、というのだった。
確かに大規模なショッピングモールなどが進出し、商品を安く買えるようにはなったかもしれない。一箇所で何でも揃い、便利になったかもしれない。しかし、それでそこに住む住人たちの生活は豊かになったのだろうか。消費者利益は守られたのだろうか?
最近出来た大型ショッピングモールに実は僕も行くことがある。日曜日にまとめて買い物を済ませるために車に乗っていくわけだ。しかし、必ず駐車場に入る前に結構な時間並ばされ、まとめて買うものだからそれこそ車に乗らなくなるくらいに買い込むことになる。あれもこれも買っておかなきゃ、というわけで帰ってみてみると、何でこんなもの買ったんだっけ、というものまで含まれる。そうして、楽しいはずのショッピングも相当な疲労感と共に、敗北感となって襲ってくることもしばしばだ。
以前であれば、近くに商店街があったので必要なものを必要な分だけ買うことが出来、それ自体が楽しみでもあった。時には無駄な饅頭なんかも買ってしまうことになるのだが、敗北感は全く感じられなかったように思う。しかし、便利になった今は、なぜかマイナスの感情ばかりが自分の中でクローズアップされるように感じる。私だけだろうか。
消費者利益とは確かに、モノを安く買えるようにする、ということも含まれるだろう。それを否定するつもりはない。高いものより安いもののほうがいいのは当たり前である。しかし、それだけではないような気がするのだ。ショッピングというものの中には、安く手に入れる、ということ以外にもさまざまな付加価値的要素を含んでいる。
それは、買ったときの心の満足であり、無駄までも楽しんでしまうような、なんと言うか、「大いなる暇つぶし」的な要素だ。売る側と買う側の人間関係も含まれるだろうし、会話の中から作り手の思いを知るなどの得する情報も含まれるだろう。その店に集う人や情報に触れることにより得られる満足感といった、目に見えにくいコンテンツは結構重要な気がしてならない。
しかし、しかし、またしかし・・・だ。
僕はWEB2.0の時代には、こうした失われた商店街のような存在がWEB上で復活するのではないか、と思っている。
形式は少し変わるだろう。現実の同じ‘場’を共有するということはない。あくまでバーチャルな空間での‘場’の話だ。MIXIのような、ひとつの切り口に集う一つ一つのコミュニティーが、買い物、という行為を通じて擬似的な商店街のような役割を果たすのではないか、と思うのだ。
話す内容は今日の天気ではないかもしれない。今日の夕食のおかずではないかもしれない。それは、ある関心に基づいた、「共感」を中心に回る会話になる。趣味志向が共通な人たちが、ある商品について私見を述べたり、批判したり。それ自体を楽しみながら、ショッピングという行為が行われていくのではないだろうか。僕はそんな期待も込めた予想をしている。
もう日本に実際のリアルな商店街は戻らないだろう。心の満足よりも、目の前の便利さを追求するのが人間であろうから。空洞化された共同体も戻ることはない。都市の中で、隣に住む人が誰なのかわからない、という状況は多分、今後も変わることはない。
しかし、それがために、人々はぬくもりに似た感覚を求めてWEBに情報を求めてくるようになる。
WEB2.0の時代には、商店街が帰ってくるかもしれない。
「坪効率×リスト数」というのは、通信販売の収益構造の基本的な骨格だ。媒体が紙であろうとTVであろうと、WEBであろうとモバイルであろうと変わらない。その内容について、質問が多い箇所なので文字だけでは難しいかもしれないが説明を試みてみようと思う。
「坪効率」とはそもそも、紙通販やお店での販売における、ある一定の売り場面積あたりの効率(売上・利益)のことを指す。紙通販であれば、例えば1ページあたりの売上であり、お店なら1坪あたりの売上、という具合に考える。その坪当たりにかかった経費を算出し、その経費を補うだけの売上(利益)があがっているのかを見るのだ。単位化してあげることで、よりわかりやすい指標として使われているわけだ。
これがEコマースになると、そもそもスクロールによっていくらでも売り場面積を使うことが出来る為、元来こうした「坪効率」のような指標を取り入れる企業はないに等しかったと思う。
もちろん、厳密には10cm四方の売上は?などとWEBの世界で考えてもあまり意味はない。正確に単位あたりの経費と売上を比較するのはナンセンスに思えるだろう。
しかし、僕が言いたいのはそういうことではなく、その考え方なり、組織の文化なり、マーチャンダイジングの抽象的な行動指標にせよ、ということだ。
ひとつの商品を仕入れたり、開発して、売り場を考える。コピーを考案し、商品キャッチを考え、撮影をする。こうした、ひとつひとつの工程の成果がいかほどか?単純に言えば、1単位あたりの売上はどうか?ということとパラレルだ。
PLを考えた場合、その1単位あたりの売上が損益分岐点を越えるものでなければ結局、全体でも損益分岐点を越えてこない。坪効率×リスト数のリスト数がいくらあっても採算には乗ってこないのだ。
そういうことである。
とかくバイヤーは売上のことしか頭にない。収益性がどうだとか、会社全体で利益がどうだとか、は考えない人種だ。売ることに快感を覚えてしまう為、どんなに利益が低かろうとも、どんなに経費をかけようとも売上が上がればそれでよし、としてしまいがちだ。そんな思考パターンを打破する為にも、坪効率という考え方は有効なのである。
通販は紙もECも一箇所にいながら全国の消費者を対象にビジネスが展開できる為、この坪効率の最大化のノウハウを持つことは、大変な武器になる。10億円の企業が一気に1000億円の企業に化ける潜在的な力を得るに等しくなる。
言い方を変えれば、10億円の企業も1000億円の企業も構造的には一緒だということだ。
紙通販の場合、媒体費がかかる為、坪効率は死活問題である。それこそ必死になって効率を追求する。しかし、裏返せばそれが逆に強みになっているのだ。ECの場合はそれと全く逆で、効率を追求する必要がない為(そう思い込んでいるだけだが)それが弱みとなって跳ね返るという構図だ。
今後、益々競争が激しくなるとEC全体の坪効率は確実に落ちる。いま、採算に乗っている企業もすぐに採算割れに追い込まれるだろう。それを防ぐ唯一の方法はこの、坪効率の概念を取り入れ、マーチャンダイジングの思想にまで高めることなのだ。
パソコンや携帯電話を使って商品を販売する場合、ひとつこれだけは絶対にはずしてはいけないポイントがある。それは、その商品がパソコンや携帯で買う意味があるのかどうか、ということである。
ちょっと足を伸ばせば近くのお店で売ってる。いつも駅からの帰り道で買うことが出来る。そんな商品まで通販で売ろうとしてはいないだろうか。約4ヶ月前、10社あまりの参入でスタートしたドロップシッピングではあるが、商品点数を売り物にするサイトに限って、こうした『通販ではまず売れない』商品でその数を稼いでいる。
ドロップシッピングはどんなに進化したところで絶対に通信販売の枠組みから逃れることは出来ない。つまり、商品を手にとって買うことは絶対できず、また商品を基本的には自宅まで配送する、という要件が付きまとう。この点を無視しては、商品はまず売れない。これは、これまでのカタログ通販の商品セレクトの歴史を紐解けば一目瞭然のはずである。
しかし、インターネットの普及でさまざまな業界から、この世界に参入するようになり、この常識のような商品政策が、常識ではなくなってしまった。通販を非常に安易に考える人たちが増え、業界の混乱を招いている。サイトに乗せれば売れるだろう、10万人のリストがあるのだから、100個くらいは売れるだろう、といった思考が蔓延している。
しかし、やってみた方ならお分かりだと思うが、現実はそう簡単にはいかない。10万人のリストを持っていても、スタート当初は売れて10個、20個がいいところ。どうしていいのか分からなくなり、それこそいろんな商品に手を出し、自滅の道をたどる例が多い。
そんなショップさんに、私ども通販素材は一つの視点を御提供したいと考えている。それが「通販商材」という見方である。今のこの時代、商品は巷にあふれかえっている。すべての商品が無駄といえば無駄。必要なものなど何もないかのようである。そんな中で、わざわざパソコンの画面や携帯の小さな画面でモノを買うという行為は、よく考えるとよっぽど特別な行為と言える。そんな、特別な行為に応えるべく商品を掲載していかなければ、ECは当然のように失敗の道をたどる。逆に言うと、そんな要求に応えてくれる最低限の条件を備えると考えるものが、私どもが主張する「通販商材」なのである。
「通販商材」の特徴はまず、簡単に言えば、通販で買う意味があるもの、といえる。すなわち、手にとって買うことが出来ないにもかかわらず、買おうという動機が働く商品である。簡単なものでいえば、誰もが知っているブランド品やナショナルブランドの家電など。これは非常に多くのサイトで展開している。しかし、こうした商品は、誰でもが知っているということとセットになっているのだが、メーカーが広告宣伝費を多額に投入しているがため、ドロップシッピングをやるものからすれば、掛け率が非常に高い。つまり、利益がほとんどない。これではいくら売れたとしても、喜ぶのは消費者とメーカーだけということになる。あまりやる意味はなさそうである。
それでは他にどんな「通販商材」があるのだろうか。
さまざまな売れ筋情報を検証してみると、こんな条件を満たす商品が浮かび上がってくる。
1.自宅まで届けてくれるという行為が消費者にとって大きなメリットになる商材
2.お店で買うには面倒だが通販で注文すれば、その面倒が解消される商材
3.お店で商品そのものだけを見て買う場合よりも、パソコンの画面などの説明文を読んだ方が商品に対する理解が深まり、買う気持ちが喚起される商材
と、まぁ、こんな感じに必要条件が抽出されていく。
過去、10年以上のカタログ通販のロングセラー商材と、この必要条件を重ねてみると、よりハッキリとその「通販商材」の姿が浮かび上がってくる。
弊社の「羽根布団8点セット」はカタログの世界でも10年以上にわたって、売れている商品だが、その理由を探ると、1.大きい商品なので自宅に届けてくれると助かる、2.お店で同じ色のアイテム(布団とカバーなど)をそろえようとすると、なかなか揃わない、3.ベッドに置いたシーンなど、自宅に置いた際のイメージが写真でつきやすい、といった具合に検証することが可能だ。
もちろん突き詰めて考えていくと、この検証作業は良く分からない領域まで行ってしまうのだが、少なくともこうした考えの下に「通販商材」をセレクトしていかなければ、ドロップシッピングの成功はおぼつかないのではないだろうか。
私ども通販素材.comでは、すべての商品がこの「通販商材」である。もちろん商品によって、若干の程度の差はあるが、すくなくとも全ての商品が、1度はこのフィルターを通っている。つまり、通販として絶対に売れない、という商品は一つもないのである。社内の検証会に耐えられない商品は1つもない。
今後、ますますドロップシッピングを行う個人の方が増えると予測されるが、結局は商品が売れなければ、ドロップシッピングはなんの家計の助けにもならない。ということは、売れる商品をどう見分けるか、という『目』が最終的には、成功の条件になってくるのではないだろうか。
ロングテールの法則から言えば、出来るだけ多くの商品を掲載することにも意味があるように思える。しかし、夢のような話は、現実の流通を伴うドロップシッピングでは起きないのではないだろうか。そうした作業は極端な話、アマゾン1社がやっていれば事足りる気がするのは僕だけだろうか。
今後、時代がどう動いていくかは誰にも分からない。ドロップシッピングも日本の中で、どのように変化していくのかわからない。しかし、私ども通販素材では、この「通販商材」を充実させることに、愚直なまでに取り組んでいきたいと考えている。皆様のご評価を頂きたいと思います。